労働者は、8時間労働した分として支給された紙切れに付与された価値が、8時間分の価値に満たないこと、すなわち8時間分の給与が支払われていないことを知っている。
労働者は、就業時間内外において、契約外の無償労働をさせられていることを知っている。
労働者は、支給された紙切れに付与された価値だけでは生活できないことを知っている。
4時間を超える毎に義務付けられる休憩も労働力の再生産を基礎としたものではなく、疎外労働による剰余価値を資本が取ることの最低ラインを土台に立法されたものである。
労働者は資本に掠め取られた、労働が産み出した価値を取り戻さなければならない。タバコ休憩や化粧休憩は最も穏便なストライキである。
タバコや化粧をやらない労働者が、タバコ休憩や化粧休憩の労働者宛の電話にで出ることに不満があるのであれば、すなわち無償労働をさせられたくないのであれば、その人宛の電話に出なければよいのである。
資本は、労働について成果を規定した義務を課し、労働を協同作業にした上で分業にし、チーム、さらに個々の構成員に損失負担、瑕疵負担を課し、課の内外の労働者に競争、監視をさせた。
労働者の中に、タバコ休憩、化粧休憩を批判したり、密告したりする者がいたとすれば、どっぷりと奴隷の道徳に浸かっているのであり、資本にとっては、社畜であり、搾取の源泉である。資本は労働を強化できる。資本は経営の理念によって、おもてなしと称して契約外の労働を無償で働くことの後付の方便を付け加える。
自己実現をスローガンに掲げて、仕事は生活の手段であるとする労働者を批判することは疎外労働をさせ、資本が利益を独り占めにする法人である。経営理念には、資本を増殖させること、資本が労働者が実体化させた価値を横取りすることしか書かれていない。
経営理念だけで労働者を動かせると思ったら大間違いである。労働に応じた紙切れが支給されてそこに価値が付与されなければ労働力を提供しないであろう。
どんなご立派なスローガンを唱えても金払いが汚ければ労働者は動かないのである。全員同じ方向に向かせることなく、個々の意見、問題提起を採り上げなければ労働者は動かないであろう。励ましや労いの言葉なんか要らないから金をくれ!、メシや女なんて要らないから金をくれ!である。
労働者は、資本、生産手段を所有せず、労働力を売らなければ生活できないことからすれば、現実の労働に応じた賃金が支払われていなければ、賃金の全額支払債務を履行していないのであるから、資本は、労働者がストライキ、ピケッティング、サボタージュ(怠業)を行うことを認める義務があるのである。