<p>女と男、男と女、はセックスという媒介、垣根を乗り越えなければ存在を理解し合うことができないのか。
人にはセックスしたい、されたいという本能は備わっていない。本能そのものが存在しない。
人は偶然出会うことはない。
資本、経済、労働、社会、生活に関係ない人とは出会わない。
無償労働を通じ、労働力商品の製造工場である学校、資本、経済を合算した社会の子法人である家庭を通じ、清潔にして末永く生存し、労働力を提供することを義務付けられる。資本に基づいて労働力を再生産させ、男と女を規定し、セックス、妊娠を媒介しなければ男と女は付き合えないシステムを作り上げた。
妊娠できる方の給料を抑え売春しなければ生活できないシステムを作り上げた。
風俗嬢を基準に美の基準が作られた。イケメンの基準が作られた。
セックスは、糞尿、精液にまみれた刺激臭のちんこを肛門にほぼ密接したところにある穴に突っ込むのである。
実際してみるとチンコもまんこもグロいし、刺激臭がする。これは性教育を受けただけではわからない。
挿入し、されなければわからない。
資本は、学校や家庭に学生にセックスをさせることを禁じる。
資本は、ブルジョアの子弟にはブルジョア経済学を叩き込み、労働者の子弟には生存過程のほとんど全てを疎外労働に費やさせ、労働以外の生活過程を与えず、思考する過程を与えず、労働力を再生産させる。
モテやリア充はそれを破る。
十代の内は、資本や生産手段を持たないから生でするにしろ、ゴムをつけるにしろ避妊する。そのような男には、若い女もオッサンもキモくてグロくて性欲を惹起しない点では同じである。ブサもイケメンにも性欲を持たない。
男も女も美を生産手段にして労働を提供して紙切れを得てそこに価値属性を資本に込められることができる。ブサイクとされた男も美男、美女を購入して搾取労働をさせて紙切れを蓄えることができる。
資本、経済という土台があるから、セックスを甘受することができる。妊娠をすれば、子供が産まれ、資本から無償で養育させられ、学校を通じて子供を資本に取り上げられ、資本に、無償で労働力商品の製造労働をさせられてきたことに男も女も気付く。
子供がした労働は疎外されて資本の利益となる。セックスというハードルが男と女の間に構築されたことにより、男と女は経済上の利害が絡み、いがみ合い、理解することができないのである。
男や女は資本に規定されたもので、宗教や奴隷の道徳を捨て去れば、セックスがいかにキモイもので、いかにキモイことをしてきたかがわかるであろう。
労働力の提供を義務付けられ、清潔にして生かされてきたことと、労働力の再生産を義務付けることが矛盾していることがわかるであろう。
童貞処女諸君はこの過程を知らずに結婚、出産してしまうのである。
現実に国際金融資本やそれに準じるような劣後資本の子弟でない限り労働から免れることは困難であるが、80、90まで生かされて労働力を提供することをやめて、同性間、男と女の間に資本経済関係を作らず、給料を払って生活させるのは労働力の提供を受けた資本の義務であるから、出産、結婚を迫る男又は女を捨てちまって、セックスという垣根を取り除くことはできるのであるから、セックスというハードルを取り除くことで男同士、男と女の付き合いは楽しいものとなる。
このことが理解できずに、明治から昭和の若者は、ギラついた眼で資本、経済を調べ、全身を舐め回すように見て、セックスをして結婚し、家庭を持ち、宗教や奴隷の道徳にどっぷり浸かったまま、無償労働について、育児に怒りを感じつつ、経済、その遥か上層の感情の上でいがみ合い、喜びを感じ、喜びを感じなくとも、既婚者は、資本関係を土台とした実体関係から、出産、結婚を義務付けるのである。</p>