事業所得か給与所得かは、「目的」の有無によって規定されるのではない。

生産又は役務すなわち労働力商品の完成引渡しを「義務」とするのか否かによって規定されるのである。「

目的」は意思を含むが、「義務」には意思は介在しない。意思は実体のない観念である。観念は、投融資により資本増殖をさせた経済実体が、権利を獲得し、それに基づいて社会を形成し、実体のない観念を実体あるものと社会に認めさせてきたにすぎない。

国際金融資本から投融資を受けて国際金融資本に増殖した資本を所有させた経済実体の資本に権利の一部が付与される。

金と紙幣、金と商品の引換を認めさせた経済、中央銀行の所有を土台とした国際金融資本とその他全ての経済実体との資本関係に基づいて経済取引が行われている現実からみれば、労働者が自由に時間をコントルールすることはありえず、納期のない仕事はない。

ホワイトカラーエグゼプションの導入により、資本、生産手段を持たないことから、生産関係上、契約上、生産、役務の完成引渡しを義務付けられておらず、肉体と生活過程を売って金、紙幣を得ていた労働者に完成引渡しを義務付け、債務、損失を負担させ、残業をさせない場合には、それは納期が短縮されるということであって、短いスパンで完成引渡しができる仕事は価値のないものとして、労働者に支給された金、紙幣に低い価値属性が付与されるのである。現実に、ホワイトカラーエグゼプションを既成事実と解し、現実には準正社員と解されているアルバイトを正社員に登用する法人が存在してきている。

ホワイトカラーエグゼプションという属性が付与された労働者は労働者と解するにしろ、請負又は委任と解するにしろ、労働法の規制を免れてしまうのである。

残業をさせずに経営を合理化すると資本の側は語るが、資本がいう経営の合理化とは、労働者の労働、義務は強化されるにもかかわらず、労働に支給された金、紙幣に低い価値しか付与しないということであり、疎外済の労働から資本に転嫁される部分が増大するということが生産関係上問題となるのである。