[事実関係]

 理美容器具販売を営む原告が平成元年3月期事業年度の法人税確定申告を行ったところ、税務署長は、原告の訴外法人に対する貸付金を貸倒償却による損金として処理したことについて、原告が原告代表者Aに対し右貸付金額と同額の損害賠償請求権(商法266条1項5号)を取得するとして益金に算入した。

Aは、原告の株主である。

裁判所は、

「会社と取締役との関係は、委任であり(商法254条3項)、取締役は、法令及び定款の定め並びに総会の決議を遵守し、会社のために忠実にその職務を遂行する義務を負い(同法254条の3)、法令又は定款に違反する行為をした取締役は、会社に対し、会社が被った損害額につき、弁済又は弁償の責に任ずる(同法266条1項5号)。

ところで、原告代表者Aは、訴外会社が、設立当初から赤字経営で、その後も業績が悪化する一方であったにもかかわらず、昭和58年4月から始まる事業年度から昭和62年3月までの間に、訴外会社に対し、回収の見込みのないままに、無担保、無保証で借入金の代位弁済や手形の決済(以下、本件弁済等という)を行い、その結果、本件係争年度において、6,807万7,067円という多額の金員を貸付金として計上するに至ったものである。

そして、本件弁済等は、訴外会社が実質的にはAが支配する同族会社であり、同社を援助するという個人的な動機から、原告による同人の支配的地位を利用して行ったものと解される。

この点、原告は、訴外会社の事業が失敗するとA個人の信用が失墜し、ひいては原告の事業に甚大な悪影響を及ぼす状況にあり、訴外会社に対する融資には、合理的な理由があると主張するが、法人税法は、個々の法律を独立の課税客体としており、たとえ右のような事情が認められるとしても、法人格が別個である以上は、別個の課税単位として扱うべきものであることからしても、組織として全く別個の法人である訴外法人である訴外会社に対し、無担保、無保証で多額の弁済等を行うことを正当化する理由とならないことは明らかである。

Aは、訴外会社の代表であり、本件弁済等をした当時、同社の業績等については当然熟知していたところ、右金員が将来回収不能になることを予見し、予見し得べきであったとしなければならない。

しかるに、Aは原告代表者としての地位を利用して、訴外会社に対し、回収の見込みがないことを知りながら、本件弁済等を行ったものである。それ自体、原告の定款目的を著しく逸脱するもので、取締役として過失があるといわなければならない。

さらに、その後、担保を取るなどして、債権の回収を確保する手段を取らなかったことも、債権管理上の過失があるということができる。

結局、本件弁済等は、取締役の会社に対する忠実義務に違反する行為であり、原告は、商法266条1項5号により、Aに対し、その損失の発生と同時に何らの意思表示なくして損害賠償請求権を取得し、その履行を求める関係に立つものであり、原告は、本件係争年度において、6,807万7,067円を貸倒償却すると同時に、Aに対し、右と同額の損害賠償権を取得することとなる」とした(那覇地判平成7年7月19日)。

[解説]

 法人の資本は、資本関係を土台に紙幣発行権、準備金制度を所有する国際金融資本との資本関係から課せられた現金留保義務、回収義務から、担保を取って子法人に投融資を行わざるを得ない。動機は実体のない観念である。

法人の資本に生活を土台とした経済に基づいて、投融資を行うことはできず、意思はない。労働者は、資本生産手段を有せず、労働力を売らざるを得ないから、親子法人の資本は、疎外した労働について現実の労働に基づいて利息を加算して全額支払わなければならない。

役員は、資本との関係では、生産関係に基づいて労働する使用人である。生産関係上、資本は、使用人の給与、退職金を担保に入れて損害賠償を負担させることはできない。

役員は、役員の生活の土台となる経済に基づいて法人の資本が投下した現金を使用し得ず、意思はない。

疎外された労働により、法人の資本に利益が留保され、他の経済実体に投融資され、更に労働者は、利子、配当、租税、保険の支払いを転嫁された後、現金商品と交換され、現金に価値属性が付与され、生殖による労働力商品の再生産を余儀なくされ、すなわち、搾取されて、法人の資本に現金が留保されたのである。

生産関係からすれば、資本が法人の損害賠償を負う義務がある。資本が所有する法人は、資本の法人への損害賠償義務を基に益金計上が行われることとなる。

全ての経済実体は、資本関係から、法律行為を通じて実体あるものと社会に認めさせざるを得ないから、法人である。法人の資本は担保を取られるが、資本関係、所有関係はあるが、資本と親法人と子法人は別個の経済実体である。

訴外法人の事業が失敗すると信用を失墜するというのは実体のない観念であり、方便である。回収の見込みがあるか否か、予見し得たか、現金が回収できなくなることを知っていたか否かは実体のない観念であるから、事実確定の土台とはならない。知っていたと否とに関係なく、現金を源泉にして、又、担保名目の資産を提供して投融資を受けることを余儀なくされ、生産手段を購入し、労働を疎外し、疎外した労働を資本に転嫁するという過程を行なわざるを得ない資本関係があれば、貸倒れが実現したとは言えない。

そうであれば、損害が実現したとは言えないし、賠償額が確定したとは言えない。 損害賠償義務は、損害の実現の土台となった資本関係を土台に成立する。司法は、損害賠償の義務を、資本関係を土台に、資本の現金留保義務に基づき、労働者の生活の土台となる経済を疎外した法律たる定款の目的と交渉して、使用人たる役員に賠償義務を課したのである。

 同意は実体のない観念である。国際金融資本との資本関係を土台とする労働力再生産義務により、資本、労働力商品の家庭においても、資本関係、生産関係、それらに基づく債務、義務の承継が存在していることから、資本関係を土台とした紙幣発行権、準備金制度の所有関係に基づいて、紙幣発行権、準備金制度を所有しない全ての経済実体の現実の資本関係、経済関係、生産関係を疎外して、国際金融資本は、同族法人の行為計算否認規定を置いた。

国際金融資本を含め全ての経済実体は、生活、生活の土台となる経済に基づいて経済を行うことはできず、意思がないから、純経済人なるものは存在しない。同意の有無に関係なく、資本関係、生産関係に基づき、資本が賠償義務を負うことになるものと解される。

経済は宗教に基づいて行われるものではない。宗教と交渉して問題提起をすることはできない。司法は、現実の、実体関係の土台となる資本関係、経済関係、生産関係の事実関係の全体化を行わずに、自然、不自然という宗教学により事実確定をしている。

信義則は実体のない観念であるから、行政機関は資本との生産関係により意思はないから、本件は信義則の問題ではない。更正処分が実体があるものと認めさせることに成功しなかったことは、資本が、生産関係を基に行政機関に、現実の資本関係、経済関係、生産関係の事実関係の全体化を行って土台となる資本関係、経済関係、生産関係のない更正処分をしない義務を履行させなかったことによる。