[事実関係]
原告X(女性)は、昭和60年12月に被告法人Y2にアルバイトとして採用され、翌年1月には正社員となり、編集長Y1(男性)のもとで学生向けの情報誌の作成等に従事していたが、次第に中心的に労働を行うようになった。同年11月にY1が入院したことにより、Y1は会社の業務不信の責任を問われたりした。
Y1はY2社内外の関係者にXの異性関係等について、異性の氏名を挙げ性生活をうかがわせる発言をし、噂を流布するようになった。62年12月にY1がXに退職を勧奨した。
63年5月24日、Y2代表者を含む役員らにB専務が経過を報告し、場合によってはXとY1のいずれかに退職してもらうしか手段がないとの結論になり、Xは退職をすることとなった。
Y1は3日間の自宅近親となった。裁判所は、「X又は職場の関係者に対し、Xの個人的な性生活や性向を窺わせる事項について発言を行い、その結果、Xを職場に居づらくさせる状況を作り出し、しかも、右状況の出現について意図したか、又は少なくとも予見していた場合には、それは、Xの人格を損なってその感情を害し、Xにとって働きやすい職場環境のなかで働く利益を害するものである。
現代社会における働く女性の地位や職場管理層に占める男性の間での女性観等に鑑みれば、本件においては、Xの異性関係を中心とした私生活に関する非難等が対立関係の解決や相手方放逐の手段ないしは方途として用いられたことに、その不法行為性を認めざるを得ない。一連の行為は、Y2社の事業の遂行につき行われたものと認められ、Y2社はY1の使用者としての不法行為責任を負う。
労務遂行に関連して使用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を来す事由が発生することを防ぎ又はこれを適切に対処して、職場が被用者にとって働きやすい環境に保つよう配慮する注意義務もあると解されるところ、被用者を選任監督する立場にある者が右注意監督義務を怠った場合には、右の立場にある者に被用者に対する不法行為が成立することがあり、使用者も民法715条により不法行為責任を負うことがある。
問題を専らXとY1との個人的な対立と見て、両者の話し合いを促すことを対処の中心とし、B専務の処理の経過や結果から見るとき、同専務らは、Xの退職をもってよしとし、これによって問題の解決を図る心情を持ってことの処理に臨んだものと推察されてもやむを得ないものと思われる。
B専務らは、XとY1との関係悪化が現れた早期の段階から、主としてY1を通じて事情を認識しており、その行為についてはY1の行為との関連性も認められる。
以上のとおり、B専務らの行為についても、職場環境を調整するよう配慮する義務を怠り、また、憲法や関係法令雇用関係において男女を平等に扱うべきであるにもかかわらず、主として女性であるXの譲歩、犠牲において職場を調整しようとした点において不法行為性が認められる。Xは、生きがいを感じて打ち込んでいた職場を失ったこと、女性としての尊厳や性的平等につながる人格権に関わるものであることなどに鑑みると、その違法性の程度は軽視し得るものではなく、XがYらの行為により被った精神的苦痛は相当なものであったと窺われる。Xも冷静に協議する姿勢に欠けることがあったこと、派閥的な行動をとり、Y2に攻撃的に出るに及んだことから、慰謝料の額は150万円をもって相当と認める」とした(福岡地判平成4年4月16日)。
[解説]
資本は、出産することができる者を女性と規定し、女性を所有し、資本家の子弟、労働者に貸出してきた。男も貸し出された女を資本関係、生産関係を土台に抱かざるを得なかった。
資本、生産手段を持たない女性は、労働を疎外され、男以上に搾取され、売春婦をモデルに肉体を清潔にし、男からセックスパートナーとして好奇の目で見られ、男に抱かれざるを得なくさせられてきた。
男に抱かれ労働力再生産をして退職し資本の内部留保に貢献することを余儀なくさせられてきた。セックスを交渉されても、社交辞令という宗教により、笑顔で断ることを甘受せざるを得ず、労働にとどまらざるを得なかった。
性交、生殖をして労働力の再生産することを拒否して退職を余儀なくされることにより、資本、生産手段を失えば、生活の土台を失う。加害者は、加害の実体があれば、実体のない観念たる意思の有無に関係なく、加害の事実から、被害者に経済上の損害をもたらしたのであるから、民事上又は刑事上、加害者は資本、生産手段がない使用人であれば支払いに限界はあるが、加害者にも賠償義務がある。
解決を図る心情、セクハラの事実を知っていたか否かは実体のない観念である。労働者は生活の手段となる労働を妨げられたのであるから、資本は、セクハラを知っていたかに関係なく、生産関係上、セクハラをさせない義務があるのである。
セクハラによる資本の損害は、被害者に負担させるのではなく、セックスパートナーの属性を付与し貸出した資本が負担しなければならない。
労働におけるセクハラでいう「労働」の過程は、通勤も含まれる。私生活において資本関係、経済関係、生産関係、労働現場内の使用人間の経済、経済関係を土台に性交を迫る場合のであるから私生活もここでいう労働の過程に含まれる。 意図や予見は実体のない観念であるから事実確定の土台とはならない。セクハラの土台となる資本関係、経済関係、生産関係が事実確定の土台となる。