メディアは、国際金融資本に所有されているから、良い相手が見つからないとか、趣味の時間と金がなくなるからと揃って報道し、非婚、少子の現実の理由を報道しない。非婚少子化を叫ぶにも関わらず、給与は絞られる。
安い金でセックスをさせ、子育てをさせるというのが資本家の本音である。コミュニケーションが取れない者や非モテに容赦なくムチを入れる。
経済によって作られた女は、現実には、資本家の所有で、経済によって作られた男に貸し出され、資本家と生産関係にある子供は、セックスにより、労働力商品、投融資先を再生産することを余儀なくされ、再生産された搾取の土台は資本家の所有となり、女の労働は疎外され、搾取され、資本家所有の女と子供の養育費を転嫁される。
全ての経済実体が中央銀行の準備金制度の存在から労働しなくても生活することができるし、必要に応じて働き、必要に応じて受取ることにより経済は停滞しないにも関わらず、紙幣発行権を乗っ取られるから、労働させて投融資を受けることを余儀なくさせ、資本家による労働の疎外、搾取の継続反復が働けなくなる原因であるにも関わらず、資本家は、準備金制度、紙幣発行権から投下する現金がないということはありえないにも関わらず、介護は生産をせず投資によるリターンがないから、介護費用を負担しないで、その負担を子供に転嫁する。資本家が支払わなければならない生産関係上の義務、すなわち給与、養育費を負担させれるなんて糞食らえと資本家に抵抗を示しているのである。
資本家は、既存の資本関係を土台とした実体関係から、紙幣発行権を持たない者であれば、搾取の土台の再生産によって資本家から受取る借入元本、利子配当、租税支払と支払後の利益からの分配を受けられなくなるから、出産を義務付けるのである。
愛する者との間に子供が欲しいというブルジョア学者や奴隷の道徳に毒された資本の家畜のいう本能は、人間に備わっていない。
子供が欲しいというのは債務支払を基礎とする親のエゴである。生まれてきた子供は紙幣発行権を有しない限り、産業を興して投融資を受けるか生活過程の大半において労働力商品の提供をするか間違いなく経済上苦労するし、搾取と戦争への投融資に加担し生活をすることを余儀なくされる。努力をすればするほど搾取され、努力をしない、労働をしない,、紙幣発行権を有するが故に損失がない、現金不足のない金融資本家が儲けて続けるのである。リスクは実体のない方便である。
孫の顔が見たいだとか墓守であるとか祖先への恩返しとかが方便であることを知っている。全ての者は死ねば灰になる。サンタクロースを信じている皮かぶりを笑っておきながら、結婚、出産をしないとご先祖様が悲しむと行っている様は笑止千万である。
子供の数が減って困るのは金融資本だけであって、それ以外の者は何も困らない。中央銀行の準備金制度とオフショア資産の存在から生活の土台となる経済が成立しないということはあり得ない。
給与を支払う金がないということはありえない。生活保護を払う金がないことは有り得ない。紙幣発行権を乗っ取られるから、各人に現金が分配されていないだけである。女と子供を養育するだけの給与所得、事業所得のある男も若さだけが売りの専業主婦希望を有難がらない。
一人で生活することができることを知っている。女が自分の帰りを待っているの望まない。年齢に関係なく仕事を辞めて配偶者探しに来る女までいるが、資本家からは歓迎されても、未婚の男には避けられる。メディアが国際金融資本に言わされている女子力など誰も有難がらないのである。
若さはは売りにならない。愛のあるなしに関係なく、処女非処女関係なく、若い男も女もキモイおやじと同じ位チンコやマンコは糞尿にまみれて不潔であることを知っている。
結婚後はセックスは義務であることを知っている。童貞諸君以外は、処女膜など存在しないことを知っているから処女かどうかなど拘っていない。夫婦の関係、親子関係は生産関係であることを知っている。
結婚していても孤独であることを知っている。ファミレスや観光地で家族団らんを見ても家では違うということを知っている。独身で早死するのは、家事を女に依存してきた離婚した男で、結婚歴のない男ではないことを知っている。
一人が寂しいというのは幼稚である。
愛する者を閉じ込めたくない、資本と労働力商品の関係になりたくないのである。共依存を望まないのである。女に愛する人との間に子供が欲しいという本能など備わっていない。男に子孫を残したいという本能は備わっていない。
子供を欲しがっているのは、資本家だけで、男は欲しがらなくなっている。資本家が経済関係、生産関係から婚活をさせられているだけで、男で婚活をしている奴など見たことがない。メディアが報道させられているようなブームにはなっていない。
資本家、親を含む資本家と経済関係、生産関係がある者が話す結婚の話題は冗談でないことは知っている。何気なくなど話していない。義務付けているのである。
未婚者の好き嫌いなどどうでもいい、生活に困れば、キモくても抱かれることを知っている。だから、一度会っただけじゃわからないなどと言うのである。
他に好きな人がいようが、付き合っている人がいようが、関係なく経済結婚を進行させられる。付き合っている人がいても別れさせられる。
当事者は嫌がっていても紹介者は気に入っていたというのである。資本家、話す結婚話は、退職即出産が義務であることを知っている。「風」や「水」の経験がないか、子供が産めるかなど隅々まで調べられる。
ブルジョアは息子が料理や家事をすることを嫌がる。収入があっても一人暮らしをさせず土地に縛らせる。貯金をさせられ、肉食獣になることを余儀なくされる。資本家は、「女は少ない賃金で働かされて可哀相だと思わないのか、子供は母親と離れて可哀相だと思わないのか、妻子を養うという気概はないのか」と言って、資本家と生産関係にある経済実体に発破をかける。本人は結婚したがっているということにされる。
社交辞令を言うことや顔を立てる、顔に泥を塗る、断ったら可哀相、礼儀やマナー、性善説が宗教であり、宗教を使用して騙していることを知っている。
「誰かいい人がいたら」など言ったら本当に紹介されて結婚させられてしまう。「立派すぎて勿体ない」など言ったら逃げられなくなる。
「今はしたくない」というと「する」というまで執拗に追いかけてくる。生存は国際金融資本の資本関係から義務付けられ、麻薬や煙草を吸わせ、医学に投融資して延命させれば、国際金融資本はリターンを得られることを知っている。
見合いは、資本関係、生産関係、経済関係を土台とした契約が成立していて経済関係のある者の干渉があるから、断ると現実に経済上の不利益を与えられるから断れない、離婚できないことを知っている。
家柄は実体がなく、資本関係、生産関係、経済関係から断れないのである。時間という属性を付与して見た場合、同じ年齢で死ぬこととなる二人の女が、一方は、二十代の若い段階から婚活を始め、もう一方が30代から始めたとした場合、二十代の女の方が長く婚活に振り回されることになるだけである。
上記のことを知っている女が、給与を絞られ生活できなくなってキモイ男に抱かれ閉じ込められざるを得なくなることを、給与を絞られ生活が苦しくても退職せずに社会で労働し続けることにより免れているのである。
現実には、デキ婚を含め、生活できなくさせられて出産することを余儀なくさせられている。女に秋の空のように心変わりしやすい性質など備わっていない。
生活できないから、出産を余儀なくされているから、恋愛を捨てざるを得ないのである。子供に産まれてくる生まれて来ないの意思はない。
ご主人様たる親や男がいなくても、女に一人で生きていける給与を支払うのは、雇用関係のない男ではなく、女を雇用する資本家の義務である。
結婚しなくとも、また、離婚したとしても、子供を育てるだけの給与を支払い、託児所に現金を投下するのは資本家の義務である。