使用人兼務役員の退職金につき、
裁判所が「被告会社は、一応会社としては、存在しているが、その実態は原告とその親族の個人的営業であって、この場合に前記商法265条、269条を形式的に適用すれば、被告会社の実態にはなはだ即しないものとなる。なお被告会社が、もし前記商法の規定により、本件約束による義務を免れることになれば、右会社の実態からして、原告がその営業から離脱した後、親族一人が右規定に藉口して個人的利益を保護される結果になるのみであって、正義、衡平の観念に反すること著しいものがあると言わなければならない。従って、本件約束は原告が被告会社の取締役としての地位を兼ねた立場で締結したものであるところ、取締役会の承認を受けていないことから無効であるとか、取締役退職慰労金を含むものであるところ、株主総会の決議を経ていないから無効であると、被告は主張するが、被告会社の実態からみて、前記商法の規定の趣旨及び正義、衡平の観念に照らし、被告の右主張は許されないものと解するのが相当である」とする裁判例がある(大阪地判昭和46年3月29日)。
判決は、所有と経営の分離という現象から法人の実体関係を規定することとするが、所有と経営の関係は偶然に起こることはありえず、土台となる経済実体、資本関係がある。土台となる経済関係、資本関係から見れば、全ての法人は、法人における所有と経営は分離していない。資本関係に基づいて法人の経営が行われる。
税金対策により法人組織にしたという目的は、実体がないから、これをもって法人の実体がないとは言えない。株主の出資がなされたものがなく、株主名簿が存在せず、株主総会、利益分配が行われたことがないというが、現金の投下のフィクションなく、労働の疎外が行われることはありえない。現金を法人の資産、労働力商品に投下した所得税法上の法人が、現実の資本家、金融資本家との資本関係から、登記するしないに自由意思なく、登記を媒介に、資本関係を社会に実体あるものと認めさせざるを得なかったということであり、法人の資本家は労働を疎外して労働者に租税、利子配当を現実に転嫁しており、経済実体と法律実体が異なるということは成立しない。
資本を有する取締役への退職金は、資本関係に基づいて支払われれるが、退任取締役に労働の実体があれば、生産関係上、資本家は、退任役員に退職金を支払う義務がある。資本を有しない役員は、法人の資本家が支出した現金を、金融資本家から所得税法上の法人に課せられた労働力再生産、現金留保義務から使用することはできないから、株主総会がなくても、生産関係上、資本家は退職金を支払う義務があるから、退職金は実体があると社会に認めさせざるを得ない。法は、金融資本家の資本関係、既に有している現金留保、現金に基づいて規定される。
判決がいう法が志向する社会的形態を基盤として解釈するというこ、法の志向する社会的実実態を離れて運用、解釈することは許されないとすることは、志向とは目的のことであり、実体のない金融資本家の目的に基づいて法の解釈、法を包摂するということである。労働が疎外されると、代表者が個人的利益を得るのではなく、法人の金融資本家が利益、現金留保を得た後、法人の資本家が現金留保を得る。退職金を支払わないことは、金融資本家に生存、労働力再生産を義務付けられた労働者の労働力再生産の土台となる経済の問題であって、観念の問題ではない。法人の代表者、取締役は、使用人であって退職金の支払、留保現金の使用についての自由意思は有しない。退任取締役が移転補償金の分配に応じないときは、当該建物から立ち退かないと主張することは、取締役の忠実義務違反や公序良俗の問題ではない。強迫の実体があるなしは、所得税法上の法人の生存、生活、その土台となる経済の問題である。