[事実関係]

原告他8名は、パチンコ球遊器の製造業者であり、パチンコ球遊器は、昭和16年から課税物品を掲げた旧物品税法1条に加えられた。

その後、昭和26年3月2日付け東京国税局通達、及び、同年10月1日付け東京国税局長通牒が発せられるまで、パチンコ球遊器に物品税を賦課する措置は、例外はあるが、採用されてこなかったが、税務署長は、①原告他の製造するパチンコ球遊器に物品税を賦課した。原告他は、物品税の課税対象は、本来、消費的消費財であるから、資本的消費財であるパチンコ球遊器は含まれず、したがって、物品税法1条の遊戯具に該当しないこと、②非課税の取扱いが長期間続いた後に通達で新たな解釈を示し課税をなすことは、租税法律主義を定めた憲法30条に違反すると主張し、課税処分無効の訴えを提起した。

一審は、課税処分無効確認訴訟については、かかる請求を租税債務の不存在確認訴訟ととらえ、原告の内、既に税金を収納めた者らが租税債務を負担していない以上、確認の利益を欠くとし、既納付税金の不当利得返還請求については、前提となる確定処分が無効であるとは言えないとして請求を棄却した。税金を納付していない者の提起した課税処分無効確認訴訟に関しても、処分は当然には無効とは言えないとして請求を棄却した。

控訴審も同じ理由で控訴を棄却した。

裁判所は、

「物品税は、物品税が施行された当初においては、消費税として出発したものであるが、その後次第に生活必需品その他いわゆる資本的消費財も課税品目に加えられ、現在の物品税法が制定された当時、既に、一部生活必需品(例えば燐寸)や撞球台、乗用自動車等の資本財若しくは資本財たり得べきものも課税品目として掲げられ、その後の改正においてさらにこの種の品目が数多く追加されたこと、いわゆる消費的消費財と生産的消費財との区別は、もともと相対的なものであって、パチンコ球遊器も自家用消費財としての性格を全く持っていないとは言い得ないこと、その他第1、2審判決に掲げるような理由に鑑みれば、社会観念上普通に遊戯具とされているパチンコ球遊器が物品税法上の遊戯具の内に含まれないと解することは困難であり、原判決も、もとより、所論のように、単に立法論としてパチンコ球遊器を課税品目に加えうることの妥当性を論じるものではなく、現行法の解釈として遊戯具の中にパチンコ球遊器が含まれるとしたものであって、右判断は正当である。

尚、論旨は、通達課税による憲法違反を云為しているが、本件の課税がたまたま所論通達を機縁として行われたものであっても、通達の内容が法の正しい解釈に合致するものである以上、本件課税処分は法の根拠に基づく処分と解するに妨げがなく、所論違憲の主張は、通達の内容が法の定めに合致しないことを前提とするものであって、採用し得ない」(最判昭和33年3月28日)。

[解説]

物品税も贅沢品に課税して低所得者に分配するというのは名目で、国際金融資本家による、納税者の現金留保を疎外して課税を通じて、国際金融資本家が投融資を行い、戦争に投融資することにより、国際金融資本家の現金留保を蓄積させることを行わざるを得ないという義務であり、過程である。

パチンコ球遊器には、資本財すなわち生産財、消費財という属性は備わっていない。現実にパチンコ球遊器に投下して、労働を疎外してはじめて現金留保を産み出すのであって、所有しているだけでは現金留保を産み出さない。

全資本家を所有し、全資本家の拠出した現金留保を所有する国際金融資本家が、税務行政機関との生産関係を使用して、人民に現金留保を義務付け、各人民が支出した現金を留保した産業からの課税を通じて、現金を収奪してきた。

金融資本家は、資本関係を土台に、利子配当租税の名目で現金留保を収奪し、現金留保を行ってきた。

その土台は、資本家による金融機関への投融資による現金留保の蓄積という既存の経済関係である。

偶々法律、通達が創設されたことにより、課税が行われるということはありえない。法、通達創設の土台となった、資本関係、現金留保義務に基づく現金留保の過程が存在しているのである。

通達制定当初、実体があったもので、当初の通達に盛り込まれていなかったものがあるということは、全ての経済事実を抽出し、確定し、全ての問題提起を行った後に解釈を発表し、生産関係上の義務としたのではないことになる。現実の経済関係、生産関係を確定せずに、金融資本家の現金留保過程にのみ基づいて、課税してきたことになる。

国際金融資本家も、架空資本の発行、融資契約上という法律行為により、預金在高に実体がなくとも紙幣を発行する義務があり、投融資を受けた法人の資本家は、他の資本家が所有する金融機関に投融資できるという既成の経済関係があるから、他の資本家から現金留保を収奪するのであって、又、事業承継による現金留保の移転による現金留保義務があり、自由意思に基づいて現金留保はできないが、経済実体上の根拠なく恣意的に課税を行っていたということを社会に認めさせることになる。

現金留保を得たものが実体法上の権利を取得し、立法するという過程に鑑みると、法律の目的と交渉して解釈すると、法は、金融資本家の現金留保を促進する装置、土台となる。存を義務づけている以上、租税負担をした後、金融資本家のいう名目ではない、現実に、生存、生活の土台となる現金留保が残っていることは、生産関係上の義務である。

よって、課税の土台となるのは、現実の現金留保である。生通達課税は、課税側の生産関係、見解を知っているか否かであるとか法的安定性であるとか予測可能性であるとか信義誠実であるとかの実体のない観念の問題ではなく、経済実体のない価値属性付与による恣意的課税、金融資本家の現金留保過程という課税関係を土台とする、事実確定、問題提起の全体化の義務を尽くさない恣意「的」課税が問題となるのである。