所得税法上の事業所得と雑所得の違いはどこにあるのだろうか。

先ずは、所得税の規定からみてみましょう。

所得税法では、事業所得、雑所得について、下記のように規定する。

事業所得とは、農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得(山林又は譲渡所得に該当するものを除く。)をいう(所得税法第27条第1項)。

所得税法では、事業については、何ら規定されていない。

雑所得とは、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得を言う(所得税法35条1項)。

裁判例は、弁護士顧問料に関する事例で、事業所得について、「事業所得とは、自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性、有償性を有し、かつ反復継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められる業務から生ずる所得」としている(最判昭和56年4月24日)。

更に、裁判例は、経済的行為が令63条12号にいう「対価を得て継続的に行う事業に該当するかどうかにつき、その「経済的行為の営利性、有償性の有無、継続性、反復性の他、自己の危険と計算による企画遂行性の有無、当該経済的行為に費やした精神的、肉体的労力の程度、人的、物的設備の有無、当該経済行為をなす資金の調達方法、その者の職業、経歴及び社会的地位、生活状況、及び当該経済的行為をなすことにより相当程度の期間継続して安定した収入を得られる可能性が損するか否か等の諸要素を総合的に検討して社会通念に照らしてこれを判断すべきもの」とする(名古屋地判昭和60年4月26日)。

学説も、ある経済活動が事業に該当するかどうかは、活動の規模と態様、相手方の範囲等、種々のファクターを参考として判断すべきであり、最終的には、社会通念によって決定するほかないとする(金子宏・租税法17版207頁)。

経済取引には、始めから営利性、有償性は備わっていない。

既存の経済関係に基づいた債権債務をフィクションされて労働力の再生産を余儀なくされているから、労働をして、商品、役務を別の商品と交換し、利潤を産み出しているのである。

事業開始の届出に記載するという法律行為により社会に認めさせられることをせざるを得なくさせられた事業以外の経済関係に現金を投下したことによる収入が雑所得である。事業所得は、資本関係、生産手段の貸与という生産関係によって生ぜじめる。事業所得も雑所得も使用人を雇用せずに営むことはできるが、その場合でも投融資先、取引先の使用人の労働を疎外している。

借入れのフィクションや投資のフィクションを受けることにより、現金を投下せざるを得ない土台となる資本関係、経済関係があって、所得すなわち現金の留保という過程が生じ、所得が偶発することがありえないことは全ての所得について言えることであり、雑所得も事業所得も同じである。

自己の計算、賠償義務を負わせられているのは、又、継続して労働を疎外され、利潤を産み出さされているのは、資本関係のフィクションを源泉とするものであり、国際金融資本のコントロールを受けてのことである。そこに当該経済実体を代表する労働力に意思は無い。

所得の土台は、労働である。労働によって、収入、更には利潤が生み出される。架空資本である現預金を含めた商品から収入、利潤が生み出されるのではない。

精神は、労働に基づいて形成されるもので、経済取引の段階においては、実体のない観念であるから、事業所得や雑所得を規定する際には、関係のないことである。

雑所得の源泉となった事実は、法律行為により社会に認めさせた事業以外の経済関係に現金を投下し、実体のないリスクや実体のない信用に基づいて取引を行ったという価値属性を、現金商品と交換し、現金を得ることが確定することにより、現金を投下した金融商品、先物取引に付与して、実体あるものとして社会に認めさせたものであるから、雑所得による損失は、給与所得から差し引くことが所得税法上、認められない。

確定申告書を提出する居住者のその年の前年以前三年以内の各年の年において生じた雑損失の金額(この項又は次条第一項の規定により前年以前において控除されたものを除く。)は、政令で定めるところにより、当該申告書に係る年分の総所得金額、退職所得金額又は山林所得金額の計算上控除する(所得税法71条1項)。

所得税に関する法令に列挙された各業について、それら総合して「事業」を、所得税法上解釈するのであれば、

労働力商品を購入しないまでも、当該経済実体を代表が現物の存在する商品(労働力商品を含む)の生産又はそれに関する加工及び販売、又は商品の販売をしている労働をしていて、その直接の取引先の経済実体の労働者に労働をさせて、労働を疎外することにより、商品と商品を交換するのが事業ではないか。

そうではなくて、当該経済実体の代表者そのものは労働をせず、労働力商品を購入せず、現預金、金融商品という商品を貸付け、又は投資することにより、投融資先の労働力の労働を疎外して利潤を得ている場合が雑所得ではないかという規定の仕方が成立するのではないか。

事業所得か雑所得かは社会通念という上層によって規定されるのではない。中央銀行に出資している金融機関に出資して、社会の全取引の市場価格の変動する過程を規定する国際金融資本が、日本に所在する金融資本に現金資産を留保させずに、富裕層から現金を吸い上げて、労働者や低所得者に分配することなく、国際金融資本家に国際金融資本家の現金留保義務に基づいて国際金融資本へ現金を移転させるという既存の過程を土台にして、取引から損をさせ、雑所得と事業所得の差異を規定し、損失控除による現金留保という税制上の権利を認めていないのである。

社会の土台にある既存の経済関係、経済過程を見れば、現金の流通過程で現金留保に成功すれば中央銀行を所有する民間金融機関の株を取得することができるからである。国際金融資本家は、産業資本家となって投融資を受けざるを得なくなるのである。税務行政機関が富裕層への嫉妬に狂って雑所得の損失を給与所得から差し引くことができないことを規定したのではないのである。