一部の金融資本家が、現金、その上層にある紙幣発行権、世界各地の中央銀行、金融機関、産業資本を所有しているから、それ以外の人民が豊かな生活を得ることや貧困から脱出することも、階級格差をなくすことも、当ブログは宗教や道徳や倫理のブログではないから、属性論や実体の善悪というアプローチを採らず経済レベルで言わせてもらえば、各人が労働をやめて生存をやめない限り、永久に不可能であろう。

全ての人間が、全ての手段を尽くして金を稼いできても、中央銀行を所有していれば、それ以上の金を発行できるからである。

綺麗事抜きに言えば、架空資本を研究しても、どんな産業を興してしても、どんな労働を頑張っても、ロックフェラーやロスチャイルドに経済上勝つことはできなくなってしまっている。

中央銀行の所有を変えることはできないのである。現金、生産手段を所有していない者は、維持する前提となる実体を所有していないのであるから権利云々の問題の土台がない。

経済上の権利がないから政治に参加できない。政治や法によって経済を変えることはできない。

政治家は、現金、生産手段を有しないから、金融資本家よりも自由意思で使用できる現金を有しておらず、金融資本家との生産関係から政治家は自由意思に基づき経済を動かすことはできない。

予め金融資本家に雇用される議員は決まっていて、誰も現実に行われら選挙の投票数を数えることをしないのだ。

人民は、選挙にすら参加できないのである。投票していない政治家について、選んだのは人民の自由意思であり、自己責任であるとするのだ。

選挙や政治を媒介にメッセージを送ることができないから、各人一人一人が社会に向けてメッセージを送り続けるしかないのである。

社会や経済のせいにするな、努力が足りないからだと言われても、批判し続けることが必要である。

金属に実体のない価値属性付与により各資本家が労働者から搾取し、支払手段が不足した複数の資本家が所有していた現金を実体のないリスクや信用という属性付与により預金せざるを得なくさせて、世界各地の産業資本に投融資し、利息配当の支払いを労働者に転嫁し、汗水たらして働く労働者を笑う者から相続したから金持ちになっただけの奴に努力云々を言われたくはない。

現実の生産、経済、社会の構造を把握することは自己の置かれた経済関係を知る上で必要なことである。

狭い世界での金儲けと政治とセックスにうつつを抜かし、社会の構造を見回さない奴が既存の金融資本家に搾取されるのである。搾取に加担せざるを得なくさせられる。

本能は実体がない。本能は存在しない。生存したいという本能は備わっていない。生存は義務ではないが、金融資本家の所有する経済関係によって死ぬ必要もない。死なざるを得ない土台が実在しないのである。死は利得を産まない。

保険金の原資は他に投融資される。労働は疎外される。担保は一旦金融資本家の所有となり、産業資本に譲渡され、そこに投融資される。他人の生産物を収奪することは、他人の生存の土台となる経済を破壊するから、生産物を反対給付なく収奪することはできない。

経済の土台は現金であり、欲求、欲望ではない。

各人の土台となる経済、経済関係に応じて働き、金融資本家から投融資を受けて産業資本を拡大することを止め、労働者から搾取して剰余利得の蓄積を止め、経済関係に応じて労働者に未払給与の支払い、搾取利得の返済、退職後の生存の土台となる退職金の支払いをして、労働者を閉じ込めることをやめ、事業承継や相続を義務とせず、未払給与、退職金の支払う。

そうすることにより、国際金融資本は、搾取利得の返済の土台がなければ、金融資本家に追加投融資をさせて死滅した産業資本を買わざるを得なくさせ、金融資本は属性の備わっていない紙切れに株価や換算レートや現在価値といった方便により、実体のない高い価値属性を付与して出資する資本家、資本家が投融資した法人に購入せざるを得なくさせるであろうが、一人一人は、剰余資産、剰余資本を持たず、金融資産、投資信託、有価証券の購入、保険商品の購入のような実体のない架空資本の購入を止め、一人一人が、経済社会の構造、プロセスを学習し、金融資本家の所有するメディアの欺瞞に踊らされなければ、金融資本の経済関係、資本関係、所有関係は変えることはできないが、金融資本のこれ以上の膨張を抑止し、戦争は抑止できるのではないか。

戦争を抑止して金融資本家の膨張を抑止できるのではないか。本能に実体はない。本能は実在しない。人間にセックスしたいという本能は備わっていない。産めよ殖やせよをやめ、国際金融資本家の投融資する全資本家の集まりの、既に国際金融所有のオフショアに流出させられた現金資産負債の規模が縮小し、投融資の金額が減り、人間が消滅した後まで戦争開始を引き延ばすことはできるのではないか。