架空名義の預金、信託、登記上の資産、登録上の口座名義を現実に所有する実体は何かが、労働者を所有する全ての資本家を所有する金融資本家との課税関係上問われることがある。
所得の源泉は、現金である。現金の投融資を受けることが土台となっている。現金の投下して、労働力商品、資産の購入、生産、労働の疎外、価値属性の付与、役務の提供、資産の譲渡というプロセスを経て、また、価値、リスク、信用といった属性の付与、利得、配当、手数料名目の収受というプロセスにより収益を稼得し、預金する。投下された現金の流れを追っていくと預金に辿りつき、預金された現金の土台は何か、この収益の土台を探るアプローチを法人起源説という。預金を所有してる存在を探るアプローチを法人管理説といっている。
後述にように、人による現金の所有、人の所有はありえないから法人所有説といった方が現実であろう。経済上の現金、資産の所有、労働力商品の所有、利得の所有がない者が法律上の権利を所有している事はありえない。経済上の利得を法律上の権利として社会に認めさせるプロセスを経ることに、自由意思は介在しない。同一の経済上の事実関係は存在しないから、同一上の経済事実関係は同一の課税上の取扱いを受けるという上層建築たる平等原則から事実の確定、法への包摂が行われるのではない。事実の目的や事実がいかなる効果を期待していたかは、実体のないものである。
経済を含めた全ての事実の確定その後の法への包摂は、事実の確定が事実それ自体だけで行われるわけではなく、専ら法律、その上層の解釈、法解釈によって行われるものでもない。法解釈によって事実の確定が行われるとすれば、事実の確定と法解釈は相異なるものとはいえない。経済関係の存在なくして権利義務は存在せず、法は規定され得ない。当該事実とそれ以外の全ての事実との全ての関係、その土台となる事実及び事実関係から行われる。法人が登記されている以上、法人は実在する。法人に天から金が降ってくるわけではない。法人との関係を有する実体がある。
法人は、資本家との資本関係、所有関係、経済関係、生産関係により、配当原資、利払い原資を作らざるを得ない。個々の現金は無記名で所有者を持たず、現金によって所有者が規定されるから、法人に納税の原資となる現金を投下した者がいる。この者が現金に第一に所有される者であり、すなわち、法人の所得の土台となった現金を投融資した者、法律行為である帳簿に記載された法人の現金、資産、留保所得を所有する実体に法人税が転嫁される。法人とその株主の双方に課税が行われても二重課税の問題は成立しえない。
親会社と子会社、法人と株主は、各々関係はあるが別個の実体であり、搾取利得を受けているから、同一の利益に二度課税ではない。二重課税の方便により受取配当の益金不算入を行えば、実体のある株主は搾取利得を受けながら一度も課税を受けないこととなる。融資先が法人税課税を未だ受けていない、利息すなわち搾取利得を受け取った法人とその株主の双方に課税が行われても、融資先法人と融資した法人は関係はあるが別個の法人であり、金融資本家に所有された法人と金融資本家も、各々関係はあるが別個に実在するものであり、各々搾取利得を受けているから二重課税、多重課税の問題は成立しえない。法人起源説と法人管理説の二者択一ではなく、両方のアプローチを含めた全ての事実関係とその土台から現金に第一に所有される者を確定する必要がある。