中央銀行を所有するひと握りの資本家が、やっていることは、餓鬼のままごとレベルである。準備金という方便により、湯水の如く紙幣を増刷する。労働者が何時間も労働してやっと手に入れることができる紙幣をワンクリックで発行する。産業資本家に事業を起こさせ、貸し付ける。事業を拡大させて借入れ返済させ、また借りさせる。とにかく資本関係、経済関係、生産関係を土台に労働者を牛馬の如く働かせて賃金を絞り、金融資本家自身を儲けさせるのである。生産しても役務を提供しても、労働者はそれを享受できない。汗水垂らして生産した物や提供した役務が紙切れと交換される。紙幣は商品なのである。ものさしではない。デフレやインフレ、株価、リスクをいった実体のない属性を紙切れに込めて複雑にし、人民に考え込ませる。間接所有そのまた間接所有により資本関係、生産関係、経済関係を複雑にし、現実の所有者が誰なのかについて、わかりにくくする。しかし、全ての事実関係のいくらかを捨象して、物事をシンプルに考えれば良いということではない。金融資本家は、経済関係について公開を義務付けられ、メディアを所有し、社会に存在を認めさせることにより、自らの生命とその土台となる経済関係、資本関係、生産関係を維持する。経済関係は公開されている。歴史や経験だけを追いかけ、国内の政権争い、メディアの情報といった狭い範囲だけを見ていて、世界全体を見回して、経済関係、資本関係、所有関係、生産関係を把握していかないと現実の経済関係、資本関係、所有関係、生産関係を把握できないのである。