貸付金の貸倒れを巡る訴訟として興銀の事例がある(最判平成16年12月24日)。

日本興業銀行(以下、興銀という。)は、住専7社に減免予定債権額についての一般貸倒債権の残高が不十分であり、住専7社に関する債権償却特別勘定の設定もしていなかった。

興銀は、住専処理機構の設立に関する閣議決定及び住専7社の2次ロス処理に関する閣議で示された住専処理計画に沿って、日本ハウジングローン株式会社に関する債権3,760億円を全額放棄することについて、平成8年3月29日、日本ハウジングローンとの間で債権放棄約定書を取り交わし、日本ハウジングローンの住宅金融管理機構への営業譲渡の実行及び解散の登記が12月末日までに行われないことを解除条件として本件債権を放棄することとした。

興銀は、平成7年4月1日から平成8年3月31日までの事業年度における法人税を計算する過程で、本件債権放棄に係る評価額を法人税法22条3項3号にいう当該事業年度の損金の額に算入し、法人税青色確定申告をした。

税務署長は、上記の損金算入を否認して、更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分をした。

第1審は、債権の全額が回収不能か否かにつき、「合理的な経済活動に関する社会通念に照らして判断するのが相当である。」とした上で、「少なくとも平成8年3月末までの間に、興銀は、本件債権を回収することが不可能になっていた」とした。

第2審は本件解除条件付きでされた債権放棄に基づいて生ずる損金については、当該条件の不成就が確定したときの属する年度」の損金に算入されるとした。

最高裁は、下記のようにいう。

仮に、住専処理法及び住専処理に係る公的資金を盛り込んだ予算が成立しなかった場合に、興銀が、社会的批判や機関継投資家として興銀の金融債を引き受ける立場にある農協系金融機関の反発に伴う経営的損失を覚悟してまで、非母体金融機関に対し、改めて債権額に応じた損失の平等負担を主張することができたとは、社会通念上想定し難い。

興銀が本件債権について非母体金融機関に対して債権額に応じた損失の平等負担を主張することは、平成8年3月末までの間に不可能となっており、当時の日本ハウジングローンの資産等の状況からすると、本件債権の全額が回収不能であるとすることは客観的に明らかになっていたというべきである。

[解説]

社会通念も実体のない観念である。現実の経済関係とフィクションされた経済関係を見ないでどうするのか。

住専は、民間銀行である日銀に出資するロックフェラー出資の三菱、日銀に出資するロスチャイルド出資の住友、長銀、興銀をはじめとする資本が設立させられた法人である。住専は、ロスチャイルド、ロックフェラーをはじめとする金融資本家との資本関係により、住宅需要という方便により、労働力へ、その資金繰りに関係なく投融資のフィクションをさせられ、住専、住専に投融資した長銀の業績、資金繰りを悪化させる。住専は住管機構、整理回収機構に資産を譲渡させられ、貸付けのフィクションを源泉とし、労働を疎外され、債権者である労働者への貸付けや、労働者に国債の引受けをフィクションする税金投入と金融資本による投融資が行われた。

資本家所有の税金を投入し生存させ、ロックフェラーがサザーランドを媒介に投融資して長銀を所有、新生銀行となる。興銀もロックフェラー所有のみずほが所有する。

みずほ銀行を代表する労働者は、ロックフェラー出資のメリルリンチ、三井住友の代表労働者がロスチャイルド出資のゴールドマンサックス、三菱の代表労働者がロックフェラー所有のモルガンスタンレーの株式を、労働を疎外して購入させられ、郵便局をはじめとする日本法人の資本に雇用される労働者は、デヴィッド・ロックフェラーとの資本関係から、労働を疎外してアメリカ国債を購入させられ、日本の金融資本を資金不足にして、ユダヤ金融資本が日本の金融資本を通じて労働力に投融資をフィクションして、日本の金融資本をコントロールすることを義務づけられている。

既存の資本関係により、日本の金融資本家所有の法人を国際金融資本に譲渡して、国際金融資本に現金留保させるという経済関係が既に成立していて契約という法律行為により社会に認めさせていたと見ることができる。住専も日米資本家に投融資を受けさせられ、生存させられ、法律上も解散営業譲渡したが清算はしなかった。ユダヤ国際金融資本も、国際金融資本に投融資をフィクションされている日本の資本も、資本関係、生産関係を土台に、自らの雇用する労働力、投融資先の労働力を搾取し続けており、損失を被っていない。

債権者と債務者の経済関係が貸倒れと言い得る関係に至っていないのである。任意整理が平成8年12月末までに行われなければ債権放棄を解除する、すなわち債権を主張するという解除条件を任意整理が行われるまで債権放棄を停止しておくという停止条件を解するにしろ、任意整理は、効果を期待した恣意的な目的論、実体のない目的論を国際金融資本との資本関係、国際金融資本家の現金留保義務によって法により契約し実体化されたもので、任意という語を用いていても現実には自由意思はないが、債務者の経済関係を疎外して興銀を所有する国際金融資本家の資本関係、現金留保義務に基づいて、貸倒計上による現金留保を認めることとなる。

貸倒を認めることにより、金融資本家は投融資の源泉、土台となる現金留保を蓄積することとなるのである。しかし、債権回収への行為可能性といった目的論、合理的すなわち法則、理論に即した経済活動といった上層や、投融資する側が、貸付先の資産、支払手段について知っていたか否かであるとか、社会通念上に従った判断であるとか、唯心論を持ち出して住専に貸付けを行った国際金融資本勝訴の判決をしている。

一審の藤山雅行や最高裁のいうリスクも実体のない観念である。合理的な経済活動、客観的に明らかの客観も実体のない観念である。

日本の行政、司法は、日本の劣後資本を媒介に、ユダヤ国際金融資本に、資本関係を土台にコントロールされていることが看て取れるのである。