人権救済法案が閣議決定された。これで差別されてきた者が救済されると思ったら、それはお花畑思考である。

法律上の権利は、経済上の利益を資本関係、経済関係、生産関係を土台に、自らが所有する使用人、敵対する取引相手の使用人に認めさせ、法を媒介によって社会に認めさせて取得する。既成事実として経済上、法律上の権利を取得、所有していない者に、権利救済の問題は成立しえない。生産手段を持たない労働者も権利を所有しているとのとらえ方は、既成事実のとらえ方としては誤りであり、問題の建て方を誤らせうる。

生命身体、その土台となる経済において差別されている国内外の人民が委員に選ばれて経済上法律上の利益を取得するのではということを問題にする者がいるが、問題として成立しえないであろう。差別されている側を擁護することにより利得を得てきた者の権利など餓鬼の駄賃である。世界で最も大きな利権を所有するのは、ロックフェラー、ロスチャイルドをはじめとするアメリカの資本家である。人権救済法案もアメリカ資本家と日本の労働者との間の資本関係、経済関係、生産関係を土台に法制化を強制されたものである。

資本家に劣後する政治家に自由意思などなく自民や民主が人権団体にアピールしたものではない。人間は、経済関係、資本関係、生産関係によって行動せざるをえず、自由意思、目的に基づいて行動しえない。

人権救済法が成立すれば、経済上、法律上の権利を所有した者が、効果期待論を含む目的論をはじめとする唯心論によって、経済関係の維持、改変、廃止が行うことが、経済上、法律上、可能となりうる。インターネットは、資本家が資本蓄積を土台に研究者に命じて軍事データの収集を行ったのが開発の原因事実である。ネットの利用者が問題提起をすることを封鎖することが可能となりうる。全ての事実関係が摘出されることがなくなり、全ての問題提起が行われるといったことがなくなり、グローバルスタンダードすなわちアメリカ資本家のスタンダードが独走するのである。

資本家による言論弾圧が行われるのは、反対者が消されるのは共産経済であるという属性を与えてきたが、より人民を抑圧するのは現実には資本経済の方である戦前戦中の資本経済維持、治安維持立法の再来である。。現象面からみれば美しい言葉で語られた法案は、納税者権利章典についても言えることであるが、注意を要する。資本家が法を媒介に名誉毀損が司法審査に馴染むということを既に社会に認めさせることに成功しているにもかかわらず、その確認規定を含んだ立法がなされたときには注意を要することは、児童ポルノ法のときと同じである。現象面では人民に権利と自由を与えたようにみえて、それを選択したことを自由意思によるものととらえ、自己責任を負わせるのである。