仕事の出来る人、出来ない人について書かれた書籍や記事は多い。そうした文献の中で定説となっているのが、仕事の速い人は仕事ができるというものである。
仕事の速い人間は資本家に可愛がられる。何故なら、その者が仕事が出来るからではない。
資本家がその者から剰余価値をたっぷりと採取することができるからである。
粗悪な出来でも、その者が弁が建って取引先を欺いて取引先の労働者から搾取し内部留保できればよいというのが資本家の本音であるからである。
資本家や労働者が、取引の現象のみを追いかけ、そこから法則を見出し、法則に則って処理すれば、仕事は早く終わる。
個々の取引について、土台となる事実関係に遡り、当該取引に関する事実関係の全てを拾い出して、全ての面から問題提起をしていけば、それだけ問題提起の数が増え、仕事の完成は遅くなる。
仕事の早い遅いだけでは、仕事の出来る出来ないについて論じることはできないのである。更に、定説の1つに、整理整頓が出来る人は、仕事が出来るというのがある。
しかし、整理整頓が出来るということは、個々の取引について調べるときに、捨象された事実関係、捨象された問題提起があるということである。
原因となる事実まで遡らず得られた事実関係の数量が少ないから整理できるのかもしれない。全ての面から検討し尽くさずに恣意的に捨象されている場合もありうる。
捨象された事実関係、捨象された問題提起の中に重要な問題が含まれていたとすれば、現実の経済関係とは異なった仕事が行われうるのである。
整理整頓ができていない人は、収集した事実関係、ピックアップした問題の数量が整理整頓ができている人よりも多く、整理整頓まで、時間という社会関係上の制約の中で、時間が回らないだけなのかもしれない。
しかし、必要のない事実関係、捨象しなければならない事実関係は存在せず、収集した全ての事実関係を土台にして仕事をすれば現実の事実関係に即した問題提起が行われ、現実の事実関係から乖離してしまうことを回避できる。
仕事が遅い、期限直前まで粘る、問い合わせの数が多いと資本家や取引先担当者には嫌われるかもしれない。しかし、現実に、仕事上、重大な事故を起こしているのは仕事が速く、整理整頓が出来ている人の方である。