一年の内の今の時期、休暇を取って地元に帰っている人も多いと思う。都会の喧騒を離れ、空気の澄んだ田舎で過ごしている人も多いと思う。中には田舎暮らしに憧れている人もいる。澄んだ空気と清流、屋根瓦の民家、こうした田園風景も見る人によっては、全く受け取られ方が異なるのである。

戦時中、学童疎開、特に、縁故疎開以外の疎開により、田舎で過ごすことを強制された都会の学童であった人にとっては、見るのが辛い、思い出したくない景色なのである。

実は、田舎にも機銃掃射があった。

田舎の子は身近に親もいるが、都会から疎開させられた者は、親と離れ、親へ宛てた手紙も検閲された。チクリを入れると更に凄惨ないじめを受けた。面会や手紙のやり取りにおいて、検閲をくぐり抜けて伝達に成功しても、叱咤激励するだけの軍国の父母もいた。

教師も、所詮は資本経済維持装置にすぎず、現在も、搾取した金銭の更なる搾取である金融資産をはじめ、膨大な資産をスイス銀行に所有すると言われる資本家天皇を含む資本家の所有物である子供を将来の労働力、搾取の源泉として、銃後を守らせ、戦地に派遣することを資本家に命じられ、戦争による資本拡充を賛美し、いじめの事実をひねり潰し、または、いじめられっ子に弱い子という属性を与え、しごき抜いた。

相談する相手がおらず、ほとんどは失敗したのであるが、脱走するしかなかったのだ。大人や上級生の命令は絶対で、上級生や教師は、食料を搾取し、下級生の自由意思により提供されたように装ったという。いじめの土台は経済であった。布団蒸しと呼ばれるイジメにより死んだ生徒もいる。子供間、大人子供間による性的暴行も横行し、性病が蔓延したという。昔は良かったと伝統的子育てを賛美する者は主張するが、当時、疎開させられていた人の話によると、大津市のいじめ殺人のような、殺人に相当するいじめが行われていたと言われる。今も昔も、いじめられて人にとっては、いじめられたことは、思い出したくもない事実であり、しかし、決して忘れてはいない思い出である。

こうした事実を知らず、トラウマを克服出来ない者は幼稚であると言う属性を与えて欲しくないし、郷土愛、愛国心、親先輩を立て服従する、女が男を立てるといったことを強制して欲しくないのである。