宮城県の私立高校で、いじめを受けた生徒が学校側から、強制退学させられた。知人にも同校の卒業生がいるが、被害者の制服から野球の名門校仙台育英であることはほぼ確実であろう。自主退学などという言葉を学校側は用いているが、生徒の側にここでいう自主退学に自由意思はない。

資本経済体制維持装置が自由意思に基づく自己責任を求める例の一つである。私立学校は、労働者の子弟が加害者であったら当該加害者を庇わずに当該加害者を退学させる。いじめられた方が退学させられたことからして、加害者は、地元の大規模オーナー企業の跡取り、地銀の創始者の家系であるとか、校長、警察といった資本経済維持装置の子弟であるとか、そういった資本家と資本経済維持装置との間の経済関係の推論が成立しうる。

スポーツ推薦で大学やプロ球団に進むことが決まっている特待生だとかのメディアは、根性焼きが行われたと報じるが、厳密に言うと、根性焼きとは、他人が強制によって行わせるのであるが、自らにより自らの腕に煙草を押し付ける行為である。現に、加害者は、根性焼きと称している。もし、加害者が、目撃者がいないことを奇貨として、被害者が自由意思でやったという逃げ口上を与え、こうした方便を用いようものなら、エリートブルジョア名門私立高出身の資本家や裁判官や教師らは加害者の方便を信じてしまうから、メディアも資本経済維持装置であるから、ペテンにかけているのかもしれないが、安易に根性焼きという言葉を使って欲しくない。

資本家に、私立学校側が行わせられる行動としては、伝統的子育てを説く論者を使って、加害生徒に質実剛健や礼節をわきまえた子という属性を与え、そんな子がいじめをする「訳が無い」と断定させることが考えられうる。使いっ葉を主犯格に昇格させたり、何もしていない生徒に加害者の身代わりになってもらうということが考えられうる。 被害者は、現実の社会という巨大な存在に問題を投げかけた。だから、皆様には被害者に対して、「君はあの世で幸せになれる」だとか、「被害者には神様が罰を与えて下さる」など現実には存在しないことを言って彼を慰めてほしくないのだ。