搾取の源泉は金である。現金を投融資して搾取を最も手っ取り早く高率で実現する方法は、力である。暴力を媒介に、労働力である人を使い、分業体制で自らは不労所得を得るのである。資本家には、学問も専門技術も不要である。人を用いて反対者を抹殺する力、鞭を入れて生産させる力と力を所有するだけの資産だけである。資本と親には資本関係がある。子供は資本の所有である。学校に投融資して子供を競争させ、いじめをさせ、暴力をさせれば、すなわち競争や暴力やいじめに投融資すれば、儲かるのである。「いじめが全て悪いとは限らない」「いじめと死亡の因果関係は必ずしもあるとはいえない」という方便が使えて嘘泣きの名人であれば、優秀な技師になれる。和解に持ち込めば、資本家の利益に貢献するのだ。

いじめっ子を競争社会によるストレスという方便で庇護する者がいるが、奴隷として仕えるよりも、生産手段を所有して管理する方が快楽である。市区町村は、資本家共通事務取扱委員会、学校は、資本主義維持装置である。人権派弁護士も資本家専属の技師である。

いじめ問題が起こると、伝統的子育てを支持する論者は、日教組を叩くが、日教組も唯心論という上層により戦争反対を述べるだけで反共であり、アメリカ経済を配慮した発言をする。いじめっ子の家庭では、いじめられっ子は劣等生だ。先生や先輩から好かれるような人間になれと教えられる。伝統的子育てが主義という唯心論を用いている資本主義経済体制を補完してきたのである。いじめっ子は人を使うのが巧妙で、経営者の基礎を取得しているのだ。彼等は搾取により高い利益を実現できるのだ。資本家の下部組織となる家庭を築き良きパパ、ママになって妻子の養育費を負担させることができ、資本家の利益に貢献するのだ。資本家が学校や警察に命じていじめの事実を隠蔽するのだ。よって、右翼の先生も日教組の先生も、それに追従する。だから、資本家も権力装置も行政も技師も兎に角いじめっ子の経歴に疵が付かないように大事に育てるのだ。いじめられっ子にも非があるのだという方便を真に受ける者は、資本家にとって、将来奴隷にして働かせるにはうってつけの存在である。