<p>収入金額、所得金額だけで、努力の量は測れない。所得の低い者の中には、搾取せずに役務の対価を支払っている者もいる。取引先から搾取されている場合もある。貧しい人々に貢献している者もいる。高所得の者の中には、高所得者に対しては至れり尽くせりのサービスを行うが、低所得者を蔑ろにする者もいるのだ。所得金額の多寡によって努力に量を規定して叩くことはできないのである。課税の土台は、所得である。努力の量を推察して課税の土台とするようなことはあってはならない。努力は、実体のない観念が介在する。努力と労働は似て非なるものである。努力云々を論ずることは、競争を手段とする疎外労働を土台とした、国際金融資本の利潤蓄積の方便であり、装置である。</p>