全ての物には価値という属性はない。資本家が価値という属性を与えるのだ。需要という唯心論によって、商品の価格が決まるのではない。金融資本家、産業資本家との経済関係に基づく金融資本家、産業資本家からの命令によって決まる。不景気という方便を使って、搾取を認めさせ、不景気のせいで商品が売れなくなり、商品の価格が下がり貨幣が流通しなくなるということにするのである。現実には、労働者を搾取する命令が資本家から下り、商品の売り手は安く売らざるを得ないのである。産業資本家は、更に取引先の労働者を搾取しないと金融資本家に借入金を返済できなくなる。デフレは、価値という属性が変化しているのではないのだ。
他国の通貨よりも円に高く価値を付けること、例えば少ない円で1ドルの物が買えるような経済関係を作ることを円高という価値をロスチャイルドの御用学者は、付与しているが、円高は、金融資本家、産業資本家と労働者の経済関係に基づく。円が利潤ンを産み出すという実体のない観念をフィクションして恰も実体があるかのように洗脳すれば、労働に付す価値を疎外し、労働力商品の再生産に要した商品に付される価値を下げることができる。日本企業の海外進出が進むのは、海外の方が労働者を搾取できるからで、輸出量が減少したことによるものではない。円高の経済関係をフィクションしておけば、それと企業の生き残りを方便にして、日本に設置した取引先中小企業の労働者を搾取することができるのだ。労働者を搾取して内部留保を拡大し、資本と労働者の格差は増大する。資本家、ブルジョア経済学者、ブルジョア税理士は、労働者は皆仲良く貧乏になったと言って大喜びである。 デフレや円高は、方便であり、フィクションであり、デフレや円高に関係なく搾取はに常に存在する。