既成の経済社会の事実関係に基づいて、行動と理論が他方に影響を与え、与えられ、経済関係社会関係が乗越えられたり、停滞することとなったりする。
人々の思考もこうした反復を繰り返し、進歩してきている。更に、インターネットにより自らの経験や自らが従属する狭い社会だけでなく、世界各国からさまざまな情報が入手でき、共時態思考が促進される。「最近の若者は」と憂慮している中高年の若かりし頃よりも、現代の若者の思考の方が遥かに進歩している。
最近の若者の車ばなれが伝えられるが、その原因は、車を購入して維持するだけの給料を現実に確かにもらってはいない。
しかし、彼らにバブルの頃と同じ給与が支給されても、バブルの頃の若者ほど車を購入しないであろう。彼らは、必要に応じて購入し、高級車がステイタスだなんて思っていない。高級車を乗り回している奴を見ても憧れないし、嫉妬しない。高級なおもちゃを買ってもらって喜んでいる餓鬼にしか思えないのだ。車や豪邸にカッコいいだとかモテだとかの属性はないのだ。
ブルジョアがそこに価値を込めただけなのだ。そのことに気付いているのである。結婚しないのも、家庭が生産集団であることに気付いているから結婚もしないし、子供も作らない。妊娠により、結婚せざるをえなくなっても、とっとと離婚し、職場に復帰する。結婚できないことに悩んでいないし、コンプレックスなど持っていないし、婚活もブルジョア国家の国策メディアが騒いでいるだけで、婚活をしている奴などほとんど見ない。
結婚に躍起になっているのは、世継ぎを作ることを義務づけられたブルジョアの子弟か、専業主婦になって男に服従するのが女の幸せと教え込まれ、賃金を搾取されていることをやむをえないとしている女ぐらいで、男も女も互いに依存し合わずに恋愛を楽しんでいる。若者の右傾化が叫ばれて久しいが、寧ろ右傾化しているのは今の中高年、大体40代以上60代前半位の世代ではないか。