[事実関係]

争訟の段階において、処分理由の差し替えができるか否かについて、

裁判所は、

上告人が、「処分庁と異なる機関の行為により附記理由不備の瑕疵が治癒されるとすることは、処分そのものの慎重、合理性を確保する目的にそわないばかりでなく、処分の相手方としても審査裁決によってはじめて具体的な理由がを知らされたのでは、それ以前の審査手続において十分な不服理由を主張できないという不利益を免れない。

そして、更正が附記理由不備の故に訴訟で取り消されるときは、更正期間の制限により、新たな更正をする余地のないことがあることなど、相手方の利害に影響を及ぼすのであるから、審査裁決の理由が附記されているからといって、更正を取り消されることが、所論のように無意味且つ不必要なこととなるものではない。それ故、更正における附記理由の瑕疵は、後日、これによる審査裁決において具体的根拠が明らかにされたとしても、それにより治癒されるものではないと解すべき」(最判昭和47年12月5日)と述べていることを挙げ、

「更に、前記最高裁判決を敷衍して解釈すれば、青色申告の更正処分の審査裁決の段階はもとより、その取消訴訟においても、審査庁若しくは取消訴訟における被上告人が更正処分の附記理由とは別の新たな理由をもって処分を維持することは認められないというべきである」としたことにつき、

「被告は、要するに、被上告人の本件追加主張は、本件更正処分の通知書に附記された更正処分の適否に関する攻撃防禦方法としてその取消訴訟において提示することは、許されないものと買いすべきところ、被上告人が本件追加主張を提出されることは、妨げないとした原判決は、昭和47年12月5日に違背し、法令の解釈適用を誤ったというものである。

そこで、検討するに、原審が確定したところによれば、

(1)宅地の分譲販売等を業とする上告人は、本件不動産はを7,600万9,600円で取得し、これを7,000万円で販売したものとして、右事業年度の法人税につき確定申告をした。

(2)これに対して被上告人は、本件不動産の取得価額は、6,000万円であるとし、他の理由と共にこれを更正の理由として本件更正通知書に附記して更正処分をした。

(3)ところが、被上告人は、本件における本件更正処分の適否に関する新たな攻撃方法として、仮に、本件不動産の取得価額が7,600万9,600円であるにしても、その販売価格は、9,450万円であるから、

いずれにしても、本件更正処分は適法であるとの趣旨の本件追加主張をしたのであって、

被上告人に本件追加主張を許しても、右更正処分を争うにつき、被処分者たる上告人に格別の不利益を与えるものではないから、一般に青色申告書による申告書による申告についてした更正処分の取消訴訟において更正の理由とは異なるいかなる事実をも主張することができると解するべきかはともかく、被上告人が本件追加主張を主張することは妨げないとした原審の判断は、結論において正当として是認できる。そして、右のように解しても、所論引用の判例の趣旨に反するものではない」とした(最判昭和56年7月14日)。

[解説]

総額主義と総額主義については、下記のように説明されることがある。

確定処分に対する争訟の対象は、それによって確定された税額(租税債務の内容)の適否である、とする見解であり、争点主義というのは、確定処分に対する争訟の対象は、処分理由との関係における税額の適否である、とする見解である。

総額主義の立場によれば、理由の差替えは審査請求の審理または訴訟における口頭弁論の終結時まで原則として自由に認められることになるが、争点主義によれば、理由の差替えは、原則として認められないことになる(金子宏・租税法第17版858頁)。

租税債務は、経済上は成立しえないが、経済上フィクションされて法律上の債務とされているのであるが、理由附記について、総額主義、争点主義、理由附記の経済上、実体法上の義務を始め総合的に私見を述べたい。

金融ブルジョアと納税者の関係は、フィクションされた資本関係を源泉とした、一方的な権利行使による生存手段たる労働の評価の略奪であるから、課税処分を行う過程においては、提出させた申告書から問題を提起し、仮説を立て、問題点を全体化し、個々の問題点の事実関係を調査し全体化して、当該事案に係る法律の規定の立法過程(問題提起されることとなった既成の事実関係を全体化→問題提起→仮説→経済関係上課税適状にあるか推論→立法)と現在の経済関係上の事実関係の比較(通時態的思考)と経済社会関係上の事実関係(共時態的思考)に照らして、当該条文を解釈して当該事案をそれにあてはめてみて処分を行う。個々の条文毎に一の処分が構成される。

個々の条文毎に、土台となる経済関係すなわち労働の疎外による留保利益が存在し、法を規定することにより課税して担税力という価値属性、法の解釈を実体があるものとし、社会に認めさせることに成功させられているのであるから、個々の条文毎に別個の処分が存在する。

課税処分の違法性の有無の基準は処分の段階である。課税処分の理由を差し替えるという行為は、いわばその理由というのは方便であり、専ら課税を「目的」とした唯心論に基づく行為であって、恣意課税そのものであって、更に遡れば、労働の疎外して利潤、商品に転嫁し、引換えにより取得した商品の評価をするという経済関係における事実関係を現実に即して把握していない、事実関係を全体化していない、実体化もできていない、実体的に違法な処分ということになる。恣意の抑制は、意思の介在する法の趣旨目的ではなく、意思の介在しない、実体化しなければならない、処分の要件すなわち義務である。

処分の維持を通じて生成された総額主義は、ブルジョアに逃げ口上を与えることになるのである。総額主義は、個々の経済関係を総計している、個々の経済関係の上層にあるイデオロギーである。

司法は、資本の利益を土台として、その他経済実体の経済利益を疎外する法の趣旨と交渉して理由の差替えを認めるが、課税の過程に鑑みれば、処分の土台となった経済事実を記す理由附記をして実体のない処分をしないことは義務である。

現金投入、労働の疎外を土台に確定した留保利益を疎外して、金融資本家と全資本家との資本関係を土台に、担税力という価値属性を留保所得に付与して計算した所得に課税して得た現金に価値属性を与えることにより所得を実体化するという課税の過程に鑑みれば、課税側は、除斥期間内に何度でも更正処分ができるのであるから、訴訟が提起された後に新たな所得を把握したときは当初の処分を取り消して更正処分をやり直しをせざるを得ない。

上記の課税の過程に鑑みれば、青色申告承認取消の原因となる事実、事実関係が実在し白色申告になった納税者、青色申告の申請をしていない白色申告者についても、国税通則法改正前においても理由の附記は義務であり、その瑕疵、欠缼の治癒、差し替えは行い得ず、青色申告承認取消をその原因がないにもかかわらず、取消をして白色申告であることをもって更正処分の理由を付さずに処分を行ったり、理由附記の瑕疵、欠缼を異議申立て、審査請求の段階において治癒したり、理由の差し替えを行ったりすることはできないであろう。