本日平成24年3月10日は、東京大空襲から67年が経過した日である。何度も繰り返すが、今後も繰り返すが、ブルジョアは、既存の事実関係、経済社会関係に係る問題提起を行わず、戦争を行うことによる被害を科学的に推測できないから、人民の被害を考慮に容れていないから、略奪による内部留保の蓄積という効果のみを期待して、すなわち、ひたすら目的だけで行動するから戦争を行うのである。ブルジョアは、天皇や首相という神を創造し、国民(ブルジョア国家に従属しているから国民という語を用いる)は、サンタクロースの存在を否定し、サンタクロースがプレゼントをくれたとほざく餓鬼のことは、馬鹿にするが、神様の存在(神格化された人間、宗教上の神の両方を含む)は信用する。
昭和天皇は責任を問われず、現在も元首として崇めようとする。子供を天皇の子として取り上げられ、戦地に派遣されても、昭和50年の記者会見でやむをえないことと発言し、非を認めない昭和天皇に祝賀行事の日の度に旗を振る。連合国軍の指導者らも英雄にしてしまう。ブルジョア国家の子、すなわち、労働者、兵隊)として取り上げておいて、愛国心すなわち、ブルジョアを愛する心を求めるのだ。文科省も、ブルジョアの命令により、学徒出陣の決定を下した当時と同じく、今も、ブルジョアの言いなりである。ブルジョア国家は、追悼式典を行うことによって、被害者の遺族のブルジョア及び天皇並びにその技師(政治家、警察)に対する怒りを鎮めようとしているだけなのだ。怒りを忘れさせるという効果を期待する目的論、唯心論による行為なのだ。あの世など存在しない。地獄など存在しない。戦死した人間は、あの世で安らかになんか暮らしていない。灰になったのだ。命令を下したブルジョア指導者も地獄になど落ちていない。ブルジョア指導者は戦後も生き残り、ブルジョアの遺族は、今も、いかに賠償しないで済むか、内部留保を拡大できるか、政治家、経団連、対外問題評議会、青年会議所に働きかけている。