人間は、生まれながらに、美しいか否かを判別する本能を持っているわけではなく、美しい異性とセックスをしたいというのも本能ではない。全ての人間は、性的魅力なるものは、備え持っていない。美の基準は多数の人間の本能に基づく意見の集積により偶然に生まれた訳ではない。既存の物を略奪し、人を搾取することにより内部留保を拡大した者が、獲得した富により、自らの思考が影響を受け、別の金持ちと同盟を結び、その者の財産を略奪を行うことを計画したが、息子又は娘が相手方親族との結婚を嫌がっていた。そこで、顔やスタイルについて美の基準を定義し、セックスは楽しいものだ、美人とのセックスはもっと気持ちがいいと定義し、政略結婚を成立させ、同盟を結び、財産の略奪に成功した。
親は、女の子供が生まれると容姿を美しく見せ、美の基準に合致することを命じ、ブルジョア階級の子供に美の基準に合致しない者がいれば、広告宣伝会社がメイクアーチストや写真技師に命じて美の基準に合致させ、合致が困難であれば、別の美の基準を定める。更に、労働者の数を増やし、内部留保を拡大することを階級から命じられているから、作り上げた美の基準を大衆に向かって宣伝する必要がある。
しかし、妊娠することが困難なロリータや熟女、同性について美という属性を与えると上記とは別の結果となるであろう。それでは、ブルジョアにとっては相続を行い、内部留保ができなくなってしまう。
したがって、生殖可能な若さが美として定義される。現実にはセックス自体は、面白くもおかしくも何ともない。しかし、それを知ってしまうと、セックスに対する興味を失ってしまうから、男は、生殖の方法を知る年齢になると女から遠ざけられてきた。セックスについての興味を与えながら、マスターベーションを教える装置を設定し、ブルジョアは、親を通して、女の子に羞恥心を持つこと、体を隠すことを教え込み、それにより、男の女を知ることについての好奇心に作用を及ぼし、生殖が行える年齢になるとっセックスを解禁する。
女は肉食獣である知らない男が入ってくるのをキモいと感じるが、一人で生きていく収入を会社は与えないから、男と生殖する道を選ばざるを得ないし、親や会社も男に服従することを強制して内部留保の拡大を行う。人は既存の美の基準の中から美を選択し、つきあっていた相手を別れたり、失恋等によって、つまり自者として、美の基準を変えるこもあるが、階級、学校等の社会関係、取引先、会社の上司等の生産的経済的関係からの強制によって、美の基準を変えざるを得なくなっていく。