いじめ子がいじめを行うのは、それが楽しくて仕方がないからである。このように書くと快楽という本能又は属性が備わっているかのようであるがそうではない。人間が動植物を見て食べられる、食べられないを決めるのは本能ではなく、人間以外の動物がそれを食べているのを見て決めているのと、同様に、力によって、隣人の物を略奪して、権力を掌握して、人に恐怖を与えて、人の自らの力を宣伝し、人を従わせ動かして楽しそうに暮らすブルジョア階級を見て、知って、いじめを行い。本当にそのとおり、いじめられっ子や友人が自分の言うことを聞くから楽しくて仕方がないのである。
自らを宣伝する方法を知っているから、クラスの人気者であることが多いし、政治力があるから教師にも好かれている。いじめっ子は、資本にとって、起業をさせて投融資を受けさせたり、工作員として使用できるのである。いじめっ子であった者は人を使って成功した経験から経営者となって経済的に成功する者も多い。そう、彼らは経験だけで思考し行動するのである。資本は宗教や道徳を創設し、金を貸したら利息をとってはいけませんと教えるのである。
学校は、資本関係から、産業資本、プチブル、奴隷労働者を養成することを余儀なくされる。強い者の味方をする方が利益であるから誰も助けない。いじめられっ子になると、経済戦争の負け組に転落し、家の内部留保が縮減するから、エリート街道まっしぐらの先生や勝ち組の親は、いじめられっ子が大嫌いである。
権力掌握の方法は大人も子供も同じである。力だけなのだ。子供も大人顔負けの計算していじめを行う。子供は無邪気であるがゆえに残酷なのではないのである。子供は天使ではないのである。教育評論家が言うような、受験勉強のストレスのはけ口から、自分と何の関係もない人間をいじめるのではないのである。いじめ子は、リアルとヴァーチャルの区別は付いている。大人が現実の世界で、略奪と搾取を実現しているから、いじめを行うのである。訴訟沙汰になって、テレビ、ネット等のフクションに影響を受けた旨を供述しているとしたら、それは、方便であって、大人が方便を指導しているのである。