オーブンシャホールディング東京高裁判決は、取引の概念について、「関係者間の意思の合致に基づいて生じた法的及び経済的な結果を把握する概念」としてとらえている。関係当事者間が全て対等な関係にあって、恰も自由意思に基づいて行為を行っているかのような前提、さらに、法的及び経済的と同次元に論じて併合していることは、既存の事実関係のとらえ方としては誤っており、およそ科学的思考とはかけ離れたブルジョア学者的な態度であろう。
取引とは、資本主からの内部留保蓄積の命令に従って、既存の自者が他者に対し、法人の役員及び使用人、政治家、国家機構等を媒介にして、財・役務に価値という属性を与え、内部留保をもたらさない財・役務を手放して、高い収益を生産する財・役務を略奪することによって得た生産的及び経済的な損益並びに法律上の権利を取得することである。
既存の事実関係に基づけば、法律上の権利は、経済闘争を勝ち抜いた結果獲得するものであるから、経済的な損益並びに法律上の権利となるであろう。権力、政治、国家、法律は既存の経済関係の上層にあり、メンツ、プライドは、そのまた更に上層、目的、宗教などは、建造物ではなく、雲の上に存する空想論である。人は、目的に沿って行動するのではない。既存の事実関係から、推論して計画して行動しているのである。