中学生の柔道必修化は、安倍晋三政権が教育基本法の中に制定した。日本の伝統文化,礼節云々は方便であって、ブルジョアが、戦争準備行為の一つとして、いわゆる効果を期待して必修化したもである。部活動も親や学校側からやらされている生徒もいるが、授業で必修化となると、そこに生徒の自由意思は全く存在しない。選択制にしても、選択した者の自己責任にされるだけである。全くの素人同士が取り組めば、事故が起こりうる。生徒は加害者にも被害者にもなる。両者はそれを背負って今後の人生を生かさせられる。腕力等の強い者がそれがない者をいじめの標的としたり、教師が反発した生徒を実験台にすることがありうる等、必修化を定めた人間は、科学的に物事を推理する力がないのである。社会で生きていく上で、力によって問題を解決することが要求されるとでもいうのか。柔道必修化は、戦時下に憧れる者のマスターベーションでしかいかない。