税務行政との間で問題となりうる事案には、必ずその基となる事実関係がある。問題は偶然生じるのではない。
全ての取引の完成までには、業績停滞等の問題を生じさせ(そう。停滞は偶然ではない。取引は既存の経済関係社会関係を基礎に人間が行っているのだ。富を独占している奴がいるのだ。必ず原因があるのだ)、社内における又は対外的に問題提起に至った時までの既成の事実関係、契約を行った時点における既成の事実関係、取引を行った時点での事実関係、当該取引は、譲渡なのか、賃貸借なのか、卸売なのか小売なのか、受注販売なのか、製造なのか、委託製造なのか、役務の提供なのか、材料は自社持ちか他からの購入か、仕入業者との経済上との関係は、当該資産が必要だから購入したのか、購入せざるを得なかったのか、雇用か外注か、売上先との経済上の力関係は、当該資産等を買わせることに成功したのか、買ってもらったのか、株主は誰かといった様々な事実関係が存在し、いくつものプロセスが存在する。
こうした事実関係の把握の仕方によって、又は、事実関係の見落としがあるか否かによって、思考への作用の仕方、最終決定等は違ってくる。
事実関係を取り違えて高尚な法理論を唱えている様は、喜劇を見ているようであり、彼等は芸人泣かせである。こうした問題となっている事案に係る全ての事実関係を把握して、並べ挙げて全ての方向からみることなく、すなわち土台となる事実関係を的確に把握して確定させずに、租税法律主義、信義則 、過去の裁判例や学説(これらは属性につながる)といった理論又は行為の目的といった、これら唯心論を研究、検討等をして、語ってみてもそれは砂上の楼閣であって、上層建築どころか空中浮遊している雲の上に乗っている建造物ですらある。現実の実務においてはこんな基礎が脆弱な理論構成など相手にされない。
現実の実務で問題となるのは、現実には、既存の事実確定である。認定と評価は、土台がない、よって実体がないということで出発点が同じである。事実認定にとどまり、事実を確定していないから問題となるのである。税理士や弁護士や学者が税務調査や税務訴訟に勝てないのはそこに理由があると思われる。