所得税法56条のいう生計を一にする親族等に対する必要経費を算入できないということに対し、生存権の面から反対する見解がある。
賃金は、絞ることなく、支払われなければならない。労働の対価が支払われなければ生活できない。しかし、ブルジョアと議論するに当たり、生存権を強調することは、ブルジョアのいう教育勅語や銃後思想を補強することとなる。
権利は義務を果たして得るものだとするブルジョアの思考を補強することになり、ブルジョアの資本蓄積命令により生命維持を強制されることにつながる。
財務成績をガラス張りにして税務調査等に便宜を与えている納税者に対してのみ、支払った分だけ専従者給与として損金算入を認めているという既成事実がある(57条1項)。
白色申告者については記帳義務があるにもかかわらず、配偶者については、86万円、それ以外の親族であれば50万円しか損金算入が認められない。
労働の対価につき、給与の支払いとして認めないことは、妻や子は俺が養ってやってるんだという男が女や子供を閉じ込め、自立を妨げ、生産集団である家から離脱できなくすることであることが問題なのである。
家族従業員は、労働関係諸法の適用対象外となっているという問題もある。女や子供は男に服従し、女は主人が父親から夫に変わっただけという家父長制に基づいた課税であることが問題である。
親族であろうと親族以外の者に対してであろうと、賃金を絞って内部留保を行った場合や親族以外の者の賃金を絞って、親族の給与を高額にして損金算入して内部留保を蓄積して問題となるのは、青色申告者であろうと、白色申告者であろうと同じである。
現実にプチブル法人においては、親族に対して給与という形で支給し、相続税を免れている例も多い。
親族に勤務実体があって親族以外の者にも労働の対価をきちんと支払って事業を行っている零細事業者に対して、何等生産関係、経済関係上の事実関係を考慮することなく、親族に対する経費イコール租税回避という唯心論課税により、零細業者がブルジョアの使用人たる軍隊等の給与を負担されられることがあってはならないのである。