真珠湾攻撃から今日で70年、未だに、市場原理主義者らは、戦争が経済上の争いに基づくものではないと強く主張する。

冷静に考えれば、これは全くの詭弁であることがすぐにわかる。人間という生物の存在があり、肉体を使い、仕事を行い、狩猟採取を行い、狩猟採取によって獲得した物につき、仕事を行い、栽培や生産を行い始め、内部留保を行い、生存を続けて内部留保拡大する。子孫を作って更に内部留保を蓄積する。生活手段を得て、財産を蓄え、喧嘩の強い者が他の人間、動植物との争いを通じて財産を略奪によって獲得し、財産のある者が、財産を持たないものを使って財産を稼ぐことを覚え(権力の獲得)、労使関係を形成した。この労使関係の存在、既成事実が労働者、使用者の思考に影響を及ぼし、使用者は、楽して儲けることができることを知り、儲けを維持するよう女性に要請し子孫を作り、子孫に生命を維持し、生殖を行って財産を維持し、拡大するように命じ、女性に銃後を守らせ、それらが幸せだと教え込み、祖先からの財産の維持拡大の要請により、文字や宗教を媒介に力を誇示し、法律を作り、労働者に生命を維持することを命じ、更に労働させ、彼等から搾取し、富を拡大していった。

ブルジョアが言うように神によって生かされているのではない。人はブルジョアに生かされているのである。墓という物体を作り、それがなくなると一大事であるかの如く、そこに資産価値をこめ、先祖の恩を説き、存在しない死後の世界といった概念を作り、墓を守らせることによって、財産を承継させ、階級から離脱させないようにした。家柄だとか墓は方便なのだ。労働者は、生命維持の要請から使用者に従う。ブルジョアに逆らえないから、今も昔もブルジョアも労働者も結婚し、セックスをするのである。

ブルジョアも労働者もブルジョア社会学者がいうような趣味だとか自分の時間だとかメリット、デメリットを考えながら結婚するしないを決めているのではない。ブルジョアは、暴力や食べられないということによるつらさや恐怖を与えるとともに、プロバガンダにより力に憧れさせ、労働者間を競争させることも忘れなかった。こうした生産関係が、労働者の思考に影響を与え、使用者の力に憧れ、競争を勝ち抜き、競争相手から略奪したり、使用者と親戚になったりと手段を選ばず出世していった。

出世した者は、女性に命じ子孫を作り更なる利益を獲得し、出世できなかった者は、女性に命じて子孫を作り、子孫にリベンジを命じた。こうした出世を勝ち抜いた者の中から、政治家が生まれ、軍隊、警察、司法が生まれ、ブルジョアの利益保持拡大の任務を行う技師の役割を演じた。上記のような仕事を行う肉体の存在、生産関係、経済関係がまず存在し、各人の思考に作用したのであって、陰謀や政治は、利益獲得の手段にすぎず、既成の経済関係等なくして誕生しえない。経済関係社会関係の存在がなければ知ることができない。経済関係社会関係の知識がなければ思考などできない。知識が無のところからは思考できないのである。こうした肉体、生産、経済関係があるがゆえに、陰謀に引っ掛かり、宗教(偶然という言葉、運命という言葉)や道徳、心理学(唯心論)や生物学(遺伝・本能という言葉)に騙され、教育(例えば教育勅語Iに騙され、大人子供の定義や儀礼、社交辞令という言葉に騙されるのである。

ブルジョアは、反論する者を子供と定義づけ、素直さや社交辞令が重要だとしてそれらを人民に要求して反論できなくする。経済関係社会関係の構造をリアルに指摘すると「寂しい人間」という属性を与えるのだ。他人の陰謀により、戦争をさせられたといった、人間は、心理や観念に基づいて行動を行うが如き分析は、妥当ではないであろう。フィクションされた経済関係を土台に労働力を稼働させて「人間が形成した」経済関係生産関係に戦争の原因を求めるという方法論が正しいと思う。金もうけが戦争の原因であるというのは、誤解であるという見解があるが、誤解ではない。全ての戦争は、「人間の」金儲けが原因である。金儲けは、「目的」ではない、経済関係である。

戦争をするのは、戦争をすれば儲かるという経済の構造、関係が存在するからである。実生活を通じ人を使って金儲けをし、金のある生活が楽しいと教え込まれる。自衛戦争も、ブルジョアからの生命、すなわち、利益保持の要請や資本増殖・蓄積の要請であるから、金儲けが原因の戦争にほかならない。ここで、注意しなくてはならないのは、経済関係といった「物」が戦争を引き起こすのではない。経済関係よりもまず、先に未だ心が形成されていない人間という物の存在がある。戦争を稼働させるのは、あくまで人間である。国際金融資本が労働力を使用して戦争を引き起こすのである。

陰謀論や宗教戦争論や野心であるとかの心は、既存の人間の存在、生産経済関係を離れた方便(空想)にすぎず、唯心論からの分析であって、戦争を繰り返して利益を拡大するという効果を狙っての発言にすぎない。戦争という手段を通じて宗教又は陰謀を企てられたこという言い訳を正当化しようとするのである。こうして、宗教対立や陰謀を企てられたことが戦争の原因であったと信じこませることに成功したのである。