10月15日世界各地で経済格差に反対するデモが行われた。格差は以前から存在していたのだが、資本家や経営者、ブルジョア学者、大新聞は、その存在を無視し、テーマとして取り上げたにしても、現象としてしか論じてこなかった。そして、相変わらず、人民の数少ない主張の場に対して、人民と科学的に話し合うという態度を見せず、暴力で鎮圧しようとしてきた。デモを押さえつけようとするブルジョアたちは、宗教や道徳を用いたり、人民の良心に訴えかけてきたり、硬軟織り交ぜて懐柔を試みてくるであろう。
そうした懐柔に騙されないでに、日頃の学習による科学的方法(唯心論・目的論を排した、例えば、労働者と経営者・資本家との搾取・被搾取関係からのアプローチ)で経済格差を解消して欲しいと思っている。 「主義」は、一人一人の立場である。いわば、それに還元することであり、包括することとも違う。他のものに置き換えることも不可能である。還元も包括もそれぞれその力には限界がある。一人ひとりの差異を捨象せず、一つに集約せず、既存の全ての面を描き出すことに成功すればそれは大きな力となる。当ブログでは、今後も引き続き、ブルジョア税制を研究し、批判し、戦争や格差のない世界を目指し、世界に向けてメッセージを発信し続けたいと思っている。
国際金融資本が出資設立させたメディアで報道される格差デモは、役員である労働者への分配を抑え、資本増殖を維持し、他の労働者への貸付をフィクションを反復することの方便として利用される。格差デモは実体のあるものなのか。
全体化して見極めなければならない。