女は男の属する階級に属するのか。
確かに、男による女や子供の閉じ込めは、男の属する階級、女の職業(経営者か労働者か専ら家事をするのか、経営又は労働と家事を両方するのか否か)、子供の有無に関係する。
しかし、男の属する階級とは、関連性があり、独立はしていないが、女という階級が存在するのではないか。そうでないと、男と女は一帯のものと解釈し、女性の役割は家事をするものとのブルジョア社会を肯定し、補完することにつながるからである。ブルジョアジーは、育児は女がやるものと思っている。
しかし、育児は職業、生産関係である。生物学を用いてブルジョア社会によって作られた性別とは別物である。女の役割は、生物学からの要請、すなわち、生殖能力のあるなしによって決まるのではない。ブルジョア社会からの要請によって決まる。生殖による男女の役割の差異は、現実によって生み出されたのではない。社会の基盤でもない。ブルジョア社会、さらに言えば、ブルジョア生産関係によって作られたのである。
ブルジョア社会は、家庭にいる間、女は養われている(結婚していることによる経済的社会的恩恵により守られている)、金銭労働をはじめ何もしていないと規定し(手段)、銃後思想(資本増殖要請に基づく)の徹底や抑圧(閉じ込め)という形の搾取という物的生産的社会的関係の成立(守られていることを引合いに出して、無償の義務の負荷をすること)、且つ、労働者の搾取(家庭という社会からの要請は増大するが、給与の増加は扶養手当のみで殆ど据置き。経営者は、自社の男性社員であろうが、他社の男性社員であろうが、女性社員を結婚退職させて男に養わせてしまえば、人件費を削減できる。
男に頼らざるを得なくする手段として、女性社員には一人で生きていけるだけの給与を与えない。男性社員の六割しか給与を与えない。)。に成功した。女という階級が既成事実となることになる原因が成立したのだ。ブルジョアジーは、自分たちが搾取をしていることを知らない。階級を知らない。既成事実として皆平等だと思っている。快適に過ごせているのは、多数の労働者が存在するからであることを知らない。全ての行為は、慣行によるもの、歴史によるものだと思っている。
大衆もブルジョアが認めさせることに成功した慣行を真理だと思っている。この馬鹿げた真理を認めさせるのは力だけである。ブルジョアジーは、男の役割、女の役割という説明のつかぬことを「家父長制」という用語を作り、そこにあらゆるものを包括するポットとしての役割を与えた。神話としての役割を与えたのである。物があって階級の対立が生まれたり、理論が生まれたりするにもかかわらず、先に物から独立して理論(空想)を生みだしているのである。そして、ブルジョアジーは、搾取すること、すなわち資本増殖というブルジョアの要請を正当化することに成功したのである。
家庭内における搾取が行われるのは、 旧民法や教育勅語が資本増殖の手段として掲げる資本増殖を正当化する家父長制による服従、忠誠といった心的要因でなく、家庭も企業や軍隊同様、生産集団であるからである。資本増殖という物的関係の要請から物の生産と併せ人の生産も行うことが要請されるからである。家庭内搾取は心的要因によるものではなく、生産関係による相続財産の生産には関係はあるといえるであろう。