精神論(観念論)を主張する人間は、社会とは、心理的なものであるとし、人間の欲望だとか、感情だとか、思想だとか、意見の表明、社会意識であるとか言う。人間は、必要な物財を生産する場合にのみ存在する。税金を支払うために生産する、餓死を免れるために労働する等である。

物質の生産及びその手段(生産力)は、人間社会が存在するための土台を構成する。剰余価値の高い商品を造り、剰余資本の増殖を図ることが求められる社会においては、人間の意志は自由なものではなくて、人間の存在の外的条件によって、決定される。これらのものがなければ、精神も文化(社会意識)も成立しえない。人間の存在がなくして思想が起こりえないのと同じである。

生産性の向上がなされた共産主義の世界に到達すれば、物質的労働に全時間を費やす必要がなくなるから、思索する時間が生まれ、精神文化(社会意識)を作り出すことができる。やがて、高度に発達した意識すなわち科学的理論や高度に発達していなくとも社会に認めさせることに成功した理論も、また、物質力となる。人間の思想に作用を及ぼす。

唯物論者は、ブルジョアジーと異なり、ある思想について、その意味するところの概要を指摘しただけでは満足せず、時間的、場所的な条件設定を変えて、新たに問題設定を行なう。精神論者は、精神は、社会的諸関係と関係がなく、独自に発達するものであるとする。諸関係を説明するには、愛する神様に頼らなければならなくなる。歴史全体は、自然法則、経験法則によるもの、すなわち生存競争や資本集積を唯一のものとし、成立するとするのである。

精神論は社会科学を包摂しうるのことを知っているから、仏壇や墓石に性格をこめ、怪談を創作し、神の類似物の性格を与えた物質を作り信仰させる。そして、数の上では、絶対的存在、すなわち、社会関係から離れて自由な人間である精神論者は、理論や道徳を創造し、自らが作った理論や道徳により、自らの意志に基づいて、宗教や良心を拠り所にして犯罪者を規定し処罰する。大衆は歓喜し、喜劇が繰り広げられる。したがって、計画に基づいて行なう殺人実行者が必要であり、精神病者を規定し、飢餓と貧困、売春婦を作り出すのである。インテリの顔をして国際競争力を前面に押し出して主張する者は、精神論者なのである。