行政の恣意抑制の観点、法的安定性、法予測可能性、経済的事実関係、国際関係及び生産的労働的諸関係並びにこれら相互の点から、立法者は、歴史上の経緯及び既成事実は勿論、生じうる全てのケースを想定して、全ての観点から、すなわち、全体化して立法されなければならないとされる。納税者の予測可能性・法的安定性の見地から、個別具体例として、過去の裁判例やケーススタディを盛り込んでもよいと思われるとされる。

そして、上記の諸関係の中での問題提起の誤りや上記諸関係の変化の中で、解釈論で問題解決を図ることができなくなった場合に、はじめて法改正又は新たな立法を行なって解決図るという形で絶えず更新していくこととなる。

立法者は、あらゆるケースを想定することなど不可能であるとし、法に規定したことが全てであると断言することはできないとし、「等」「その他」「必要があるとき」といった不確定概念を用いる。全体化するために思考することを放棄するとすれば、行政の採るべき態度ではないし、実際、全体化への試みは不可能であるのかというと、学識経験者を招いて手間ひまかけて通達という形で全体化を試みている。

しかし、現実には、国際金融資本との経済関係から、金融資本家と生産関係にある学者により、中小企業に雇用される労働者の労働は疎外され、経済事実の把握と問題提起の全体化は放棄せざるをえなくさせられている。では、課税適状にあると言い切れないために、法でなく、あくまで組織内の指導マニュアルという程度に機能を留めているのかというと、確かに、逐条解説の冒頭であくまで、通達は例示にすぎず、その他の処理を認めないわけではないことを示唆しているが、パチンコ球遊器の事例をはじめ、裁判に至らない、税務調査の場面においても、調査官は、貸倒損失や経済的利益の供与をはじめとする問題につき、通達の存在を見せ付ける。

また、日常の経理処理の場においても、税理士事務所や企業の経理担当者は、通達を考慮に容れて処理しており、通達改正に一喜一憂し、法律の規定を読んだことがないとする者もいるのである。通達の内容が仮に法律に明記されていたとしても、課税要件としての例示は、注意確認的なものであってはならず、政治力や暴力等を媒介に無理やり解決を図ろうとしてはならないが、税務上認められうるものの例示にすぎないこと及び合理的な理由があれば例示によらない処理も認めるという諸関係こそ、行政庁の裁量の限界を定めることから、それだけで十分ではないが、注意確認的に法律に明記することが必要とされることがある。