歴史認識は、資料があって、成立しうる。歴史の書き手は、確証のない仮説を慎んで記述するのである。

しかし、資料には穴がある。資料は勝ち組や略奪者の側から出る。都合の悪くない資料のみ提示して、都合の悪いものを隠蔽したり、改竄したり、焼却したり廃棄したりする。書き手は、実証的な基礎を欠く場合に、仮説によるものとことわった上で、論じていくわけであるが、資料は、保存の有無以前に資料は、主に、侵略戦争の勝者が侵略戦争の敗者と勝者自身に関して行なった供述を編集したもので、こうした形でのみ情報が与えられる以上、歴史という法廷は、勝者や強者の責任については指摘しない。

東京裁判における連合国側の責任や日本側の被告もアジアや連合国に行なった加害行為については、あまり責任が問われず、財界人の責任はほとんど問われない。政治家のうち経済的戦争を勝ち抜いたに力のある政治家やフィクサーを含む財界人ほど責任はとわれず、問われてもすぐに釈放される。時代のせいにしてしまうのだ。敗者や被害者の記録したものは、残っていないか関心が持たれず放置されている。

歴史家の書物にも、権力の側にとって、扱いにくい人物は記載されないのである。インターネットが普及したとはいえ、人間の偉大さを定義し、伝えられるのは、言葉を操ることのできる権威を得た者だけである。この関係は今も変わらない。彼らもまた、歴史上、犯罪について語る上で責任がある。権力は地上において至高の影響力、さらには唯一の力を持つものである。歴史上の人物本人による圧力に加え、社会からの圧力もある。自分の信じたところを書くには、社会から追放されるしか方法が残されていないのである。