本日9月2日は、日本において第二次世界大戦が法律上終結した日である。日米は、今も経済的繁栄を独断的教育である道徳を用いて善とし、アメリカは、独裁政権からの民衆の解放という大義を掲げ、独裁者の所有の略奪を企てる。日本はそれに加担する。植民地の解放という大義の下、アジア諸国で略奪を繰り返していた当時と変わりがない。

アジアでの略奪を邪魔され、攻撃、略奪された米ソを批判し、自らを正当化する当時と変わりがないのである。政財界は、8月15日ばかり、反戦のパフォーマンスを行うだけで、次の日には肉食獣に戻るのである。当時戦争を指揮していた政財界の大物やその二世・三世は、自分たちが当時人民にさせた侵略行為を再び戦後再び行なおうとたくらんでいる。反省などビタ一文していないのである。国家は略奪によって生まれ、所有物であり、自らは所有物の主人であり、国家は無限の富なのである。国家は人民を絞れば絞るほど儲けさせてくれる。国家は人民に一切を求める。国家に勝手に生存圏の意味を与えるのである。そして、ついに、更なる利益をもたらしてくれるアメリカをあてにするようになったのである。人は、富の所有を、世界の正義を決定する役目を実体のないアメリカに与えるのである。