第二次世界大戦後、焼け野原から生活基盤を立て直すために、汗水たらして働いてきた人々、核実験や安保条約に反対してきた人々によって、完全ではないが、平和な世の中になった。しかし、こうした人々を狙い撃ちし、特定階級の利益を代表する国家の政策に反対する団体を潰すために、署内でパンフレット、マニュアルを作成し、税務調査をこれらの団体に属する業者に対して集中的に行なったり、消費税を立法化したりしてきた。
彼らは、本当の調査理由うや立法過程を決して明かさないのである。消費税増税の影響は、当然に一般消費者でもある低賃金の給与所得者にも及ぶ。生活必需品にも課されているのである。逆に、国際競争力の名の下、租税特別措置法、寄付金課税、受取配当益金不算入等により法人税は減税されてきた。相続税、株式税制も資産化優遇のままである。
税理士も資本家の命令に応えて、事業承継税制に躍起になって、資本家の経済関係、階級の固定化促進に貢献している。国家は、資本家、資産家階級の利益実現の手段としての集団であり、資産家、資本家の要請に応えて、税理士、学者等が国会議員に働きかけ、立法されてきた。そして、資産の所有者や資本家の租税の減免分を、給与所得者や零細業者等が負担することにより、資産化や資本家に収入が吸い取られる格好となっている。
税金の使途について考えてみれば、給与所得者や零細事業者が、略奪の軍事費を負担させられているのだ。
確かに、国家に抵抗するために暴力的手段を採ったことは責められても仕方がないのであるが、反税団体とされる団体が、税務行政にその執行を見直す契機を与えたり、税法理論を発達させてきた側面もあるのである。税制に対して明確な理論をもって反対しているのであるから、その実現の手段に暴力に訴えることは非常に勿体ないことである。
財界をはじめとする国家と反対の思想を持っていることをもって、平和運動を行なったことをもって、特定団体を狙い撃ちすることがあってはならない。一円でも多く税金を徴収したいときには、課税の公平の論理を持ち出す行政が不平等な行為を行なってきたのである。課税がなされるのは経済関係に基づく所得であって、イデオロギーや価値観ではない。所得の存在の有無という経済的関係上の事実云々を問題にすればよいのであって、上層であるイデオロギー云々は問題にする必要がない。
人は経済関係に基づいて行動するのであって、イデオロギーに基づいて行動するのではないからである。歴史や現在多数を占める価値観を絶対化せず、生産及び経済的な諸関係等を無視せずに、詭弁としての公平性でない公平な課税を実施する必要がある。したがって、今も盛んである消費税増税は認めるべきではないであろう。軍事費さえなければ、消費税増税など行なわなくとも行政は運営できるのではないか。もっと、税金の使途についても関心が持たれなかればならないであろう。