商品の価値は、予め備わっている物の属性、すなわち、個人的な肉体的欲望という主観的態度を満たす使用価値は備わっていない。使用価値があれば譲渡する必要などなく、使用価値が異なるから交換するのである。他の商品と交換可能であるという意味での、他の商品との量的比率で表現された交換価値である。
したがって、予め平均賃金や平均利潤などは、商品の価値には備わっていない。商品の価値の量は、その商品の生産にかかる使用価値を形成することのない、単なる能力の支出である労働量によって規定され、その価値量を規定するのは、労働時間である。価値量(労働量)は、社会的及び歴史的要請から規定される労働量で、個々の生産者が実際に生産に要した時間ではない。その商品を生産するのに必要な個別的、偶然的な労働時間ではない。
理論上は、単位時間当たりの生産量につき、平均より多く生産する者は、平均より少なくしか生産しない者より、それだけ多く価値を受け取れることになる。労働力商品の価値は、その再生産に必要な費用、すなわち、労働者とその家族の生活費によって規定される。価格は、貨幣の一定量として表現された交換価値である。価格の変動は、交換価値によって規制される。ところで、機械等の生産手段及び貨幣が資本になるのではなく、生産手段を有する経営者階級が生産手段の所有をしていない、しなくてもよい、労働力を商品とする賃金労働者の存在により、資本に転化する(資本には剰余価値を生み出すものとそうでないものとがある)。
労働力商品の使用価値は、資本家が評価した価値たる労賃を超える、労働者が生み出した価値である。これが剰余価値であり、資本家がこれを取得する(いわゆる搾取)。資本家は、生活のために使用価値を消費するための商品の生産を目指すのではなく、例えば軍需品等、剰余価値を生み出す商品の生産を目指す。
では、剰余価値イコール利潤とならないのは何故か。平均利潤、もともと平均利潤を含んだ価格を目指したからではない。賃金が上昇したからではない。もともと価格競争、安売り競争が存在していたからではない。機械等生産手段の投入量を増加させたからではない。生産力はアップするが利潤をもたらすわけではない。
分業(直接生産に結びつく労働とそうでない労働の区別)や協業や機械の導入により労働時間が短縮し、商品の価格は安くなる。価格が安くなることにより、労働者の賃金を低くしても労働者は生活できる(例、非正規社員)との方便が成立しうる。
つまりは、労働量の投入回数、投入人数を増やせば、又は、労働時間を増やせば利潤の量がアップする前提は変わらない(例、サービス残業)。つまりは、賃金を絞ったから価格が安くなったのである。
実数としての価格は高くとも、消費する側の受け取る賃金の水準が高ければ、その商品は相対的には高くないので買い手にとって商品価値又は使用価値さえあれば売れる。安売り競争ではなく、利潤拡大競争の結果であり、そのための賃金絞りの正当化の理由づけである。先に価格を下げておいて、正社員を絞ったり、後から非正規労働者に切り替えるなどして賃金を絞ることにより、利潤率下落分を回収するのである。
このように解する方が、生活のために使用価値を消費するための生産及び使用価値の向上ではなく、必要を超えた剰余価値の取得のための生産を行なうとする資本家の目的にも合致するであろう。薄利多売に見えて薄利ではないのだ。
金がないから払えないと言っているが、きちんと次の資本増殖して内部留保し再投資しているのである。従業員とその家族を養うためといいつつ、しっかり絞っているのである。
したがって、市場価格は、たとえ、価格算定に欠陥があろうとも、決して偶然ではなく、メディア、フィクサー等何らかの媒体を解して(この場合、売主たる企業は自者)、あるいは、社会的要請により(この場合、売主たる企業は他者)、市場において社会的に成功しただけという現実に過ぎないのである。
さらに、値引き、割戻し、価格調整の媒介となった販売管理コストが原価の中に含まれている可能性がある(原価計上販管コストの中には、租税目的とされうるものもあれば、事業目的のものもある。事業関連性のない個人目的のものもある。)。必ずしもこうした市場価格として通用した価格や社会的要請等が妥当なものとは限らない。
よって、税務上の時価算定の際に、比準の対象とする企業の価格としての市場価格が、個人の主観的意図によってのみ形成されたものであれば、合理性を持って行動する事業者として決定した価格として妥当なものであるのか疑わしいのである。
搾取等による利益獲得という主観的意図のみを企業の目的として重視する、これを唯心論的に是認する見解に経てば、比較可能性のある企業の内、最も利潤率の高い企業の定めた価格が時価として税務上通用してしまう結果になりかねないのである。 なお、企業買収や無形資産の所有及びその専属使用等による独占による場合の時価については、別の機会に論じることとする。