視聴者は、株主ではないのであるから、見たくなければ見なければよい。
こうした、社員や番組制作者の役務の対価を絞り、略奪する株主の方ばかり見て、視聴者の存在を蔑ろにする主張は、乱暴な主張である。
番組の作り手である者の発言とはとても思えない。産経テレビをはじめ日本のテレビ局は、ロックフェラー所有のアメリカのCIAの出資の下に設立され、現在は、放送業との認可の絡みで少数株主であるが、実質的に支配しているのは、対外問題評議会と考えられ、産経テレビは、電通株を間接所有している関係だが(広告収入に占める電通の割合は高い)、アメリカ金融資本と日本の財界の媒介役を務める電通も日本のテレビ局の株式の多くを所有している。
株主の方を向くということは、株主の意向に沿った形で番組が制作され放送されることである。つまりは、アメリカ金融資本の意向に沿った放送が行なわれるということであり、韓国の番組を流すことは、アメリカ金融資本の意向ということなのである。
制作者である韓国を叩くことは的はずれである。韓国の制作者側もまた搾取されているのである。こうした状況に対して既存のテレビ局が利益を独占し、新規参入を認め、視聴者の選択枠を広げることの障壁となっていることを挙げる者が存在するが、設立の際の資本コストを大企業が負担する、
若しくは、設立後株式を買い取る、又は、持ち合うといったことが行なわれれば状況は何も変わらない。
株主の力が強いという点で、オーナー企業の役員と株主の関係とやっていることは変わらないのである。
ただ、放送業は、サービス業としての機能の他に情報提供業の機能も付与されてある。テレビの放送枠内の構成及び各構成要素の中身は、経済界や政治世界の意図を映し出すわけで、テレビに映し出されたものを見ることによって、政財界等の意図を探り、検証することが可能となる。
テレビ局のやることが常に正しいことを期待するからいけないのであって、放送にはテレビ局及びその株主の恣意性が混入しているのである。
テレビは、真贋を見極めることができるようになった者にとっては、真実ではないという検証の材料を提供していることとなっている。
したがって、事実を伝える媒体としては、テレビの役割は、出発の段階から終わっている。
「見たくなければ見なくて良い」発言は、視聴者の関心をテレビから逸らさせ、むしろ視聴者の無関心を奇貨として、視聴者は知っているものとして、出来事を進行させていくという流れを誘導するのである。テレビを見ても見なくても資本関係のフィクションは展開されていっているのである。