国家は、株式会社や家族や軍隊と同様、生産団体であることは、再三述べてきたが、では、国家を会社組織に例えるとどうなるか。
日本という国家は、国際金融資本の子会社である。実体のない、フィクションされた観念上のものを実体化したものである。国際金融資本は、租税の名目で、国際金融資本の所有する産業資本に数パーセントの資本を提供させ、紙幣の発行、投融資から始まり、資本関係を土台にした財、労役の引渡しによる現金の取得をするまでの流通過程に全ての経済実体を置くことで所有することになる他の経済実体にも資本を提供させて出資設立し、子会社たる日本の資本だけでは資本関係に基づいた、生産手段を購入して労働を疎外し資本を増殖させることができないから日本の場合、国際金融資本から新たに国債を発行して投融資を受けざるを得ない。国際金融資本の中央銀行所有義務を土台に強化された資本関係により石油原子力に投資して労働を疎外し、戦争をすることを受け容れ、資本を増殖させざる得ない。
全経済実体を所有することで国際金融資本の増殖をさせることを余儀なくさせ、中央銀行を所有する民間金融機関の株式を買い占めることをできなくした。株主は、大株主が国際金融資本、少数株主が対外問題評議会、経団連、代表者が青年会議所等に加入しているようなオーナー会社、同族会社(プチブル)、代表取締役が総理大臣 、役員が自民党、民主党といったところになる。
天皇は、劣後資本を有する会長や相談役といったところである。それ以外の人民は、会社の組織図に載らない労働者ということになる。つまりは、経営に参画させてもらえないのである。人民は会社の組織(決定機関)、つまり国家ではないのである。
あなたの友達や愛する人は、株主や役員として挙げたような人であれば別であるが、国家には含まれていないのである。労働者は労働を疎外される。他者(受身の人間)として疎外(自らの自由を放棄して隷従している)されているのである。労働者は祖国を持たないとは、ここから来ている。そして、国家は、それどころか愛する者を破壊するする者なのである。
国家とは、特定階級のための道具であり、抑圧装置である。そして、同族会社は別として、非同族会社の例をみれば、代表取締役は、決定機関での発言権はあっても、株主より弱い、いわゆる雇われ社長である。表向き有形力を行使した暴力は非合法なものとされたが、給料(搾取)、失業(解雇)、植民地等といった形で暴力は隠蔽(置換え)されている。こうしてみると、国家に反対意見を述べる人に向かって、「愛国心がない奴はけしからん」という人は、国家というものが何たるかを理解していないからそういうことが言えるのである。