児童ポルノの単純所持の定義とその規制の対象となる範囲を巡って、再び議論が展開されているようである。児童が大人から望まないセックスや性的いたずら等の被害を受けないようにすることを目的にするのであれば、現行刑法で十分対処できるはずであるが、何故、敢えて注意を促す確認規定として新たに法案を作成する必要があったのか。児童ポルノの作成・販売が禁止となったのは1999年の頃であり、日米関係が急速に強化されはじめた頃と一致する。そして、次は、購入する側に対する規制である。所持しているから犯罪を犯すのではないかとすることは、K1の試合を見た後、その者は他人を殴りにいくのか否かを論じる位馬鹿らしい問題である。
大部分の人間は冷静に考えて行動する。児童ポルノ規制強化の背景には、少女に性的関心を持つ大人に、少女への関心をそらせ、無理やり大人の女に興味を持たせて生殖させ、大企業を株主とする生産団体たる国家の利益を守るための兵隊を作らせる必要があるという事情があるように思われる。彼らにとって、大人が少女に性的いたずらをする事件が起これば、それは児童ポルノを取り締まる上で絶好の機会、まさに渡りに舟なのである。少子化担当大臣の創設同様、戦争準備の一環として、制度化を図ろうとしているように思えてならないのである。
彼らが、いわゆる性同一性障害に対して理解を示さないのも、同性愛者が限られた職業にしか就けないのも同じ理由からであろう。とことん、生殖に結びつかない愛を認めないのである。児童ポルノが問題となるのはむしろ、製作者側及び児童の親による児童に対する搾取であろう。親子関係は、資本家及び経営者と使用人の関係にあるのだ。子供は親に養われている、自立させてもらえないから親に逆らえないのである。親が子供を閉じ込めている一例であろう。これは、児童労働に係る法律の解釈の問題によって解決を図るべき問題ということになる。では、子供に役務提供の対価を払えば、子供の意思に反して働かせてもよいのかという問題については、強制労働を禁止する労働法によって対処すべき問題となる。