不景気は何故起こるのか。地震や山火事のように「自然と」起こるのではない。しかし、大マスコミやブルジョア経済学者たちは、自然に発生したかのように仮装して報道し、何もわからないような顔をして、難しい統計数値や算式等の現象のみを使って、原因を分析しようとする。もういい加減無駄なことはやめて欲しい。原因は、とっくの昔にわかっているのである。
既存の経済関係から、誰よりも儲けてやろう、儲けを独り占めしてやろうと考えている階級やその株主等が、商品や役務・労働の対価を「絞る」からである。不景気という言葉を使って、賃金絞りを隠蔽するのだ。ブルジョアは、悲劇の主人公を気取るのだ。払いぎたないのを不景気のせいにするのだ。
マスコミも零細業者や給与所得者の賃金低下を不景気のせいにして、大企業の内部留保によるものだとは報道しない。誰が一番儲けているか、不景気を起こして誰が得するかは「実数値」をみれば大体わかる。
しかし、全てはわからない。そこで問題提起、科学的推論が必要となる。需要と供給の関係も、自然現象ではない。人が作るのである。国内の零細業者や発展途上国と呼ばれる国から安く買占め、一定期間貯蔵し供給不足の状態を作って、それから高く売るがごとしである。不景気は終わらない。メディアが景気と宣伝しようが、不景気と宣伝しようが、儲かる奴は儲かり続け、儲からない奴は常に儲からない。常に不景気なのである。歴史上、ただの一度も好景気だったためしがない。
そういうブルジョア経済学者に限って、誰かが莫大な利益を上げると、キャッキャ、キャッキャと血湧き肉踊り、不景気の原因を作っている者を「経営の神様」だとかいって、祭り上げるのである。学校等では、「資本主義・自由主義経済は、誰もが自由になれる」かのように意図的に教える。
資本家の2世や2世議員は、親の命令で、あるいは洗脳により、青年会議所等で、徹底的に反共思想を叩き込まれる。資本主義・自由主義経済の「自由」の本当の意味は、経済的勝ち組とその階級に生まれた者がやりたい放題で、それ以外の者に自由などないのである。これを隠匿する。
負け組みに対して、勝ち組は、「努力が足りない」とか、「努力すれば報われる」というが、努力しても報われない、搾取され続ける、生まれた時点で階級が固定化され、輪廻する、それが資本主義・自由主義経済なのである。昔から社会主義国家・共産主義国家等の国家による人民の抑圧・統制がメディアで報じられるが(尤も、こうした国は社会主義、共産主義を理解していないか、理解しているが実践していないかである)、こうした、国家による抑圧・統制はメディアが意図的に、報道しないだけで、資本主義国・自由主義経済においても存在する。国家や司法、警察、監獄、そして、いわゆる「士業」は、強い者を支持するばかりで、助けてくれない、むしろ、弾圧されるだけである。
そこで、妥当な対価を払わせようと自力救済を図っても、経済戦争が繰り返されるだけである。勝ち組共同体(恰も「研究機関」であるかのような名前を付けて実在する。構成員は国家をまたがって存在する)が解体しない限り、国家や社会を形成しないで、すなわち集団化せず全ての人間が自己の目的に、理想に従って行動できるようにならない限り、不景気状態は永遠に続くのである。
人それぞれ、自らの目指す到達点や方向は異なる。儲けたい奴は儲けさせてやればいい、要は、勝ち組も負け組みも、その能力に関係なく、自らが欲しいときに欲しいだけ手に入ればいいのである。
それには、侵略・略奪のための軍隊であろうと、自衛のためとされる軍隊(旧民法下においては、家も軍隊の性質を有するということになる。財産も元々所有していたわけでなく、略奪によるものであり、配偶者の所有も略奪による。したがって、略奪を行なう軍隊である。)であろうと軍隊を解体し、米軍基地の撤退を行わせ、アメリカ軍支援の唯心論たる思いやり予算を廃止し(これらは、憲法九条の条文自体から無理なく解釈できる。
憲法の条文であっても、九条は義務規定であり、安保条約は特別法ではない。)、福祉に予算を回すべきである。学校・病院の金を負担させてはならない。生活保護、失業給付の充実。税金の使途も、私人個人個人のプライバシーに係る事項を除き、「その他」や秘密費を認めずに、公開すべきである。